饒舌館長ベスト展 静嘉堂文庫美術館1.0@岡本2【J・コンドル】 東京都世田谷区
前回は丸の内にある静嘉堂文庫美術館を取り上げました。
丸の内移転後の入館者数はどう変化したのかと調べてみましたが、入館者のデータは拾えませんでした。美術館のHPにある法人概要を覗いてみると、年毎に公開されている正味財産増減計算書の中に事業収益額があります。
2023年度のデータはまだなく、2022年度(2022年4月-2023年3月、移転の年)で見ると3.86億円、なんと前年の約2.3倍に。事業収益額なので人数の増加以外の要素もあると思われますが、移転後の実質半年間の数字としては驚異的ではないでしょうか。
そんな静嘉堂文庫@丸の内は、2021年までは世田谷区岡本にありました。2021年6月に最後の展覧会が閉幕し終了・・・のはずが、2023年にコッソリ復活しています。今回は続編?のような移転前プラスの記録です。
静嘉堂文庫美術館
静嘉堂文庫は三菱の創業者、岩崎彌太郎(1835-1885)の弟・彌之助(1851-1908)により創設された文庫。その子小彌太(1879-1945)が世田谷区岡本の彌之介霊廟のそばに新たに文庫を建設。1992年から美術館として公開され、2022年に現在地へ移転。
ちなみに三菱系のミュージアムには東洋文庫(東京都文京区)もありますが、あちらは彌太郎の子久彌(1865-1955)により創設されたもの。東洋に特化した膨大な書籍類が所蔵されています。モリソン書庫はシンプルに壮観(見せかけのガッカリ書棚とは違います)。
それぞれのミュージアムでは旧財閥系の歴史だけでなく、その財力にも圧倒されます。
東京都世田谷区岡本2-23-1
1924年建築の静嘉堂文庫。設計は桜井小太郎(1870-1953)。文庫は現役のようです。
岩崎家廟堂
美術館に入る前に敷地東側にある廟堂へ。
廟堂の設計者は、明治政府から招聘されたイギリス人ジョサイア・コンドル(1852-1920)、日本近代建築の父。日本画は河鍋暁斎(1831-1889)に師事し、号は暁英。
コンドルは岩崎家の茅町本邸(旧岩崎邸庭園 東京都台東区:1878年 重要文化財)や高輪別邸(現開東閣 東京都港区:1908年)も手掛けています。
世田谷区教育委員会によると廟堂は「わが国西洋建築の始祖」。
岩崎彌之助の霊廟として建てられ、小彌太、岩崎家代々のお墓に。狛犬に守護されている個人(家?)の墓は、他にあるのでしょうか? もはや神。
コンドル作の岩崎さんのお宅
そして美術館展示室へ
静嘉堂文庫といえば曜変天目。そして大体セットで展示されていた茶入付藻茄子(九十九茄子とも)。ココに足を運んだのは、ほぼ茶道具目当て。
コチラが最後の展示と思われましたが・・・
饒舌館長ベスト展
饒舌館長って誰のコトと思いつつ・・・。
河野館長の傘寿のお祝いという体での企画展でした。会期は8日間というゲリラ的な展示。どうやって知ったのかも覚えてません。
8日間のために図録まで用意(薄いけど)。丸の内でも販売していました。
展示品で印象に残ったのは酒井抱一(1761-1829)の「絵手鑑」。図鑑的なモノが好みなのでど真ん中でした。図録の表紙「富士山」はその1枚。琳派的かつ現代的なデザイン画。加えて菊、めだか、鶉、河豚に烏賊の表現は衆鱗図や衆禽・衆芳画譜的。
中でも菊は伊藤若冲(1716-1800)の玄圃瑶華(拓版画)から図様を採ったと解説されています(白と黒は反転)。時代的にオーバーラップしていた2人、江戸の抱一と京都の若冲。
こういった展示が再び企画されることはあるのでしょうか?
移転から2年後というのも絶妙に感じます。
展示作品は多くはありませんでしたが楽しめました。企画力の勝利です。
そして文庫周辺にある歴史的建造物にヘンタイ的歴史好きは気が付きます。
武家屋敷門
美術館にあった周辺案内図には歴史的建造物がいくつか示されています。周辺は緑地公園化されていて、ご近所さんの散歩コースのようです。
地図にあったのは旧小坂家と旧長崎家の住宅2軒に武家屋敷門。
屋敷門が気になり行ってみると、高級そうな低層マンション群の敷地奥にひっそりとありました。私有地内ですが見学可のようです。そして屋敷門はなんとマンションの管理事務所!
元は備前(岡山)池田家家老の伊木家の下屋敷表門。東京大学赤門(加賀藩上屋敷御守殿門)にも見られるなまこ壁。大名家でなくてもこの規模です。番所が付属していたので管理事務所には丁度良かったのでしょう。ちなみにトーハクにある黒門は因幡(鳥取)池田家の上屋敷門。
門としては機能していません。
現代の門は車が通れないと不便です。
岩崎家廟堂はチョット特殊ですが、世田谷区には意外と古いモノが現存しています。
車やバイクで行くのであれば、一方通行には注意が必要です。