肥後のお殿さま 永青文庫1 東京都文京区
旧大名家のコレクションを展示するミュージアムを訪れた事はありますか?
鎌倉時代から江戸時代が終わるまで日本の国を統治していたのは武家と呼ばれた人々。江戸時代には将軍の直臣で1万石以上の領地を持つ武家が大名と定義されていました。簡単に言うと殿様でしょうか。
明治維新により、各大名家は今までの権限(特権)を中央政府に取り上げられてしまいます。殿様も自分の事はもちろん、家臣や領民の行く末に頭を悩ませたり、当主が亡くなれば相続税を納めたり。そのうち経済的に困窮する家が出てきて、先祖伝来のお宝や道具類を手放すようになります。中には地元の自治体にまとめて寄贈されて、現在も市立ミュージアムのコレクションとして目にするコトも。
肥後の国、現在の熊本のほとんどを治めていた殿様、細川家の大名道具を収蔵・展示するミュージアムが東京にあります。
永青文庫とは
東京都文京区目白台1-1-1
永青文庫は肥後細川家に伝来した大名道具や美術品を所蔵・展示するミュージアム(国宝8点、重要文化財35点を含む約6,000点)。所蔵する文書類(重要文化財の細川家文書等)は旧領国・肥後の熊本大学付属図書館に寄託され解読が進んでいます。また熊本県立美術館には本館と別棟に細川コレクションとして常設展示室が設けられています。
昭和初期の建物は旧細川侯爵家の家政所(事務室)で、本邸は隣接する和敬塾の本館として現存しています(見学は予約制で通常非公開)。家政所でも一般の住宅よりはるかに立派。さすが54万石。
永青文庫の訪問回数は東京国立博物館に次ぎ、年パス(友の会)が続いているのもトーハクとココだけ。
文庫の前理事長は細川家18代当主で元内閣総理大臣の護熙さん(1938- )。2023年から次期当主の護光さん(1972- )が理事長に。ちなみに護熙さんの弟忠煇さん(1939- )は旧公家で摂関家の1つ近衛家32代当主。
旧大名家により財団法人化したミュージアムが日本各地にいくつかあります。永青文庫の特徴は16代細川護立(1883-1970)が一度は細川家の手元を離れた家由来の道具類に、白隠や仙厓といった禅僧の書画群、自らパトロンとなった横山大観や下村観山をはじめとする明治以降の作家の作品群が加えられている所です。明治維新までと以後、2つのコレクションが楽しめるのです。護立さんの審美眼(後に重要文化財指定されているモノも)という切り口での企画展も開催されています。個人的には禅僧なのにゆるーいタッチ(下ネタあり)で人間の本質を突く仙厓さんが好み。笑いのセンスと深く考えさせられる面を併せ持ったお坊さんです。臨済宗は「欲望からの解放」を目指すという認識なのですが、仙厓さんは欲を完全に否定するでもなく、かといって「執着するのはどうなの?」というバランス感覚が妙に頷けます。
2023年「長谷雄草子」展
2023年最後の展示は「長谷雄草子」。残念ながら展示の主役はあまり印象に残らず、むしろ「蒙古襲来絵詞」模本の方に興味が。ちょうど九州で他の写本を見たばかりでレプリカはいくつかあるんだなと。ちなみに永青文庫内は撮影禁止です。
蒙古襲来絵詞の原本(国宝)は皇居の三の丸尚蔵館所蔵(2023年末に展示されていたようですが、予約が取れなくて見学できず)。
竹崎季長は熊本・松橋の鎌倉幕府御家人です。筑前での元寇防衛戦で先駆けとして頑張ったのに恩賞がなかったので、鎌倉まで行って「どぎゃんなっとーとや!」と幕府に抗議して恩賞を勝ち取った人(セリフはフィクション)。
蒙古襲来絵詞は竹崎季長が作成し、竹崎家の没落後に宇土の名和家へ、さらに大矢野家へと伝わります。大矢野家も元寇防衛戦に参加していた家柄で天草地方が本拠地。安土桃山時代はキリシタンだったそうで後に細川家に仕えます。明治期に大矢野家が皇室に献上して現在に至るようですが、江戸時代に細川家や尾張徳川家、白河松平家、肥前松浦家などが写本を作成しています。
肥後細川庭園
永青文庫は台地上(住所は目白台)にあり台地の下には神田川が流れています。文庫から階段があるので下ってみると肥後細川庭園があります。以前は新江戸川公園と呼ばれていた区の管轄です。肥後六花など絡めて細川家との関連を感じさせるようにしています。
松聲閣と呼ばれる大正時代の建物は細川家の学問所だったらしいのですが、オーナーが変わり増改築部分も多くオリジナルの詳しい事はよく分からないようです。一番最初に目に入る車寄せは他所からの移築だそうで、庭園一帯と細川家との関係は幕末からと。
庭園や松聲閣では婚礼写真の前撮りをしていたり、永青文庫の企画展に関連したパネル展示と歴史よりは雰囲気を楽しむトコロのようです。入園は無料。
昭和期のお殿さま
永青文庫では企画展が年に4回ほど開催されますが、「季刊 永青文庫」という冊子が同じタイミングで発行されています。最近は展示図録の役割と各種コラム的な記事がいくつか掲載されて¥800(以前は¥300と激安、ここ数年徐々に価格が上昇)。絶版の号もありますが、HPからも入手可能。
ISBNがついていますが書店で見た事はありません。細川オタク必携の1冊。
護立さんは晩年を永青文庫で過ごされたようです(家政所部分で)。古い季刊 永青文庫に、護立さんは家庭内では熊本弁を話されていたという記事があります。細川家の経済活動や若者の教育活動を通じ、地元熊本との関係を円滑に維持するための「ビジネス・ランゲージ」のようなものではと推察されています(林田龍太、熊本県立美術館)。公人が方言を使うのは最初はびっくりするけど何だかイイなと。
興味のある人は永青文庫に「来なっせー ほんなこつ」。