帰ってきました数寄者ミュージアム 【與衆愛玩:荏原 畠山美術館】 東京都港区
明治から昭和にかけての起業系実業家には、茶の湯を嗜まれた方々が少なくありません。スキが高じて茶道具の蒐集にいそしんだ方々の中には、景気の動向によってコレクションが散逸したケースもありますが、数々のピンチを乗り越えコレクターの個性を今に伝えるミュージアムは魅力的な場所。
ちょっとお休みが長過ぎじゃないのと思っていたミュージアム。以前近くを通ったついでに寄り道すると大掛かりな工事中で、果たしていつ完成するのかとやや不安にも(外出が奨励されなかった時期には閉館した例も)。
ただコレクションは各地を巡回展示していたので、そのうちかなと思いつつも徐々に意識の外側に。
畠山記念館から美術館へ
2019年の長期休館から、ようやく帰ってきました畠山記念館あらため荏原畠山美術館。本館はほぼそのままに、新館が増築されています。展示スペースは大幅に拡大。
本館へ向かう手前左側には茶室が
Uターンして本館へ
印象はほとんど変わっていません。
以前はエントランスでスリッパに履き替えていました。絨毯張りのフカフカの展示室をスリッパでという他館ではあまり見なかったミュージアム。
展示室内は撮影不可。
島津家の長持と信楽大甕がお出迎え。
東京都港区白金台2-20-12
株式会社荏原製作所の創業者・畠山一清(即翁)が、茶道具を中心に蒐集した古美術品(国宝6点、重要文化財33件を含む約1,300件)や、故郷金沢ゆかりの加賀前田家伝来の能装束を収蔵・展示するミュージアム。
即翁さんは、松江藩主松平不味(治郷:1751-1818)をリスペクト。不味公ゆかりの唐物肩衝茶入油屋(重要文化財)や粉引茶碗松平を所蔵。
記念館は1964年の開館。寺島宗則伯爵邸のあった3,000坪の敷地に、加賀前田家の重臣横山家の能舞台や奈良般若寺の遺構を移築(建物は後に料亭・般若苑となり、三島由紀夫の小説の舞台に)。
2019年から休館して増築・改修され、2024年に荏原 畠山美術館と名称を変えてリニューアルオープン。
即翁自身の発案による本館は、RC構造の近代建築に日本建築を取り入れたモノ。古臭さは微塵も感じられない落ち着いた外観と室内。2F展示室内には四畳半の茶室も。掛け軸系は畳に座って拝見するスタイル。
敷地内には茶室が複数あって門側手前から沙那庵、翠庵と明月軒と奥に新座敷、本館の奥には浄楽亭・毘沙門堂。
住宅街のど真ん中にありますが緑豊かな環境や雰囲気は、コレクターとしては似たバックボーンを持つ根津美術館的。
近隣には東京庭園美術館や松岡美術館が徒歩圏内の距離にあります。ただし周囲にはけっこうな高低差がある立地。
以前は記念館側から般若苑や池が見渡せましたが、現在では般若苑は解体され、某通信会社の迎賓館と噂される大豪邸がドドーンと。
グーグルマップでは、池が残っているのは確認できますけど詳細は不明。
シブめの茶道具を落ち着いた空間でゆっくりと楽しめるのが畠山流。
今回のリニューアルオープンでは姿を見せないようですが、逸品をHPから
・井戸茶碗 細川(重要文化財)
天下三井戸の1つ。細川忠興(三斎:1563-1645)所持。
・本阿弥光悦作の赤楽茶碗 雪峯(重要文化財)。
胴部に窯割れがあって漆と金箔での繕いはワイルドで独特の個性に。三井家から酒井抱一の実家・姫路酒井家に伝来。
畠山即翁という人
畠山一清(即翁:1881-1971)は能楽と茶の湯を嗜んだ実業家。
東京帝国大学時代の恩師井口在屋(即翁さんと並んで銅像が)らとポンプを開発・製造する株式会社荏原製作所を創業。
石川県金沢市の出身で、室町時代に能登国主を務めた畠山家の後裔。
その家紋足利二つ引は美術館入口の扉にもデザインされています。室町幕府将軍家・足利氏一族の印。
畠山家は室町幕府のNo.2ポスト、管領職を務めた名門。能登守護家はいくつかある畠山分家の1つ。畠山家内の家督争いは応仁の乱の一因にも。
即翁さんは明治期の数寄者益田孝(鈍翁)や小林一三(逸翁)らと交流し、與衆愛玩は収集した美術品を自分一人で独占するのではなく、みんなと一緒に共有し、楽しみたいという即翁の思いを表現。
ちなみに鈍翁さんは、畠山美術館名誉館長・畠山向子さんの大伯父。
今回の展示の白眉は牧谿でしょうか。
伝牧谿 煙寺晩鐘図(国宝)は、瀟湘八景図の1パート。幽玄とはこういう風景でしょうか。
瀟湘八景図は、室町幕府3代将軍足利義満(1358-1408)が所持していた時に8つに分断されています。
断簡によって何故か国宝や重要文化財と評価が異なり、畠山美術館と根津美術館所蔵のモノは国宝指定。他に京都国立博物館や出光美術館所蔵のモノが重文指定。無指定のモノもあり。
初めて見た時はどういう絵なのか全く分かりませんでしたが、いくつか見ているうちにその伝来やらストーリーが繋がり、全体像がボンヤリと。
時の権力者の必須アイテムとされています。
新館では即翁さんの能面&衣装コレクション、そして酒井億尋(2代目荏原製作所社長で即翁さんの女婿)コレクションを展示。西洋画(梅沢龍三郎や安井曾太郎)の展示を、記念館では見た記憶はなかったような。
展示室の出口にはミュージアムショップと即翁さんが。
大きな即翁像は大御所彫刻家の手によるモノ。
平櫛田中という人
即翁像は、平櫛田中(1872-1979)の作品。現在の岡山県井原市出身で、でんちゅうさんです(本名の姓は田中)。
片ヒザでスゴみを感じさせる即翁像は寿像(生前の作成)。記念館創設時に荏原製作所社員のみなさんから贈られたモノで、田中さん90代!の作品。
強烈なインパクトを放つ田中作品は、国立劇場のロビーに鎮座していた鏡獅子(モデルは6代目尾上菊五郎)。また五浦釣人(ごほちょうじん)は田中さんが師事した岡倉天心(1863-1913)が釣りに出かける姿。
五浦の天心さんのお墓のそばには、田中さんお手植えの椿が。
そしてこちらが鏡獅子
鏡獅子は老朽化した国立劇場の建て替え工事のため、2024年2月から田中さんの故郷・岡山県井原市にある平櫛田中美術館へと帰省中。
ただ現在休館している国立劇場は、工事の入札不調で建て替え計画がストップしています。
田中さんは100才を超えても創作意欲の衰えなかった超パワフルな人。
「いまやらねばいつできる。わしがやらねばたれがやる」は、田中さんが好んだ言葉。写真の銅像後方にもそう刻まれている碑が確認できます。
いつやるの? 今でしょう!を軽ーく超えていく名言。
話を畠山美術館に戻します。
建物を後にして、庭園をさらに奥へと進みます。
足繫く通うというミュージアムではありませんでしたが、茶の湯系ではツボにはまった展示が記憶に残っているミュージアム。雰囲気も変わるコトなく、展示スペースは拡張され新しいチャプターは期待大。
奥まで見通せない豊かな森のようなお庭は、住宅地に囲まれているとは思えません。かつての般若苑まで見渡せた風景は、フェンスによって阻まれてしまいましたが、それでも明治から昭和にかけての実業家の財力はケタはずれです。フェンスの向こう側もケタはずれな財力をお持ちの方のようですが。