嫌われる勇気を4年ぶりに読み直してみる

4年前にはじめて活字だけの本(ビジネス本)を買った当時受験に失敗した私(18歳)が、失敗に失敗を重ね、苦しみもがいて、自分に閉じこもって、睡眠時間もお金も恋愛も友達も犠牲にしてきて、あっという間に4年という時間がいつの間にか立っていて。過去と現在を線でつなぐ。原点回帰。

自分の短所について

あなたが他者から嫌われ、対人関係の中で傷つくことを過剰に恐れているからです。
自らをコミュ障といって自虐する心理には、目的として「他者との関係の中で傷つかないこと」なのです。

その目的の叶え方は、「自分の短所を見つけ、自分のことを嫌いになり、対人関係に踏み出さない人間になってしまえばいい。そうやって自分の殻に閉じこもれば、誰とも関わるずに済むし、仮に他者から拒絶されたときの理由付けにもなるでしょう。私にはこういう短所があるから拒絶されるのだ。これさえなければ私も愛されるのだと

承認欲求について

我々は他人の期待など、満たす必要はありません。

他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人介入させない。

そうしないと他者を全員喜ばせれないから、自分に嘘を付き、周りにも嘘を付き続けることになる。


自由とは他者から嫌われることである。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれない。


私が変わったところで、変わるのは私だけです。相手がどう思うかはわからないし、自分の関与できる範囲ではない。課題の分離です。


自己中心的について

他者からどう見られているかばかりを気にしている生き方こそ、自分にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。

あなたは世界の中心ではない

この人は私に何を与えてくれるのか?ばかりを考えていて、その期待は敵うはずないのに。理由は他人もまた他人の期待を満たすためにいきているのではないから。

この人は私に何を与えてくれるかではなく、私はこの人に何を与えられるか?を考えなければいけない

所属感とは生まれながらに与えられるものではなく、自らの手で獲得していくものです。

自分には価値があると思えるために

いちばん大切なのは、他者を評価しないということ。もっと素直な感謝や尊敬、喜びの言葉がでるはず。

アドラーは「人は、自分には価値があると思えたときだけ、勇気がもてる」

その価値というのは、共同体にとって有益だと思えたときに価値を実感できます。

我々は人を見るとき、自分にとっての理想像を勝手にこしらえ、そこから引き算するように評価しています。 理想の100点から徐々に減点する。

誰かが始めなければいけない。たとえ、周りが非協力的でも。それはあなたには関係ない。

「神よ、私に、買えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、買えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵を授け給え」ーーニーバーの祈り

そう、何かの能力が足りないのではありません。ただ、勇気が足りてないだけ。

他者信頼

他者を信じるにあたって一切の条件をつけない。

信頼の反対は懐疑。あいても「このひとは私のことを信用していない」と直感的に判断します。

私たちは無条件の信頼をおくからこそ深い関係が築ける

信頼することを恐れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことができないのです。

裏切られることの恐怖を踏み越える勇気は、自己受容。ありのままの自分を受け入れ、自分にできること と 自分にはできないことを見極めることさえ出来れば、裏切りが他者の課題であることも理解できるし、他社信頼もたやすくなる

痛みや悲しみは思い切り感じればいい。回避しようとするからこそ、身動きが取れず、誰とも深い関係が築けないのですから。

仕事の本質は他者貢献

ここにいてもいいんだと思えるためには、他社を仲間だと見なす必要がある。そして、他者のことを仲間とみなすには、自己受容と他社信頼の2つが必要。3つ目は他者貢献。

他者を敵と思っている人は、自己受容も他者信頼もできていない。

他者貢献とは、私を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ私の価値を実感するためになされる。

・ありのままの自分を受け入れる自己受容

・裏切りを恐れることなく他者信頼

・そして無条件の信頼を寄せて人々は自分の仲間だと思えているからこそ他者貢献

行動面の目標

1.自立すること
2.社会と調和して暮らせること

この行動を支える心理面の目標

1.私には能力があるという意識
2.人々は私の仲間であるという意識

世の中には攻撃してくる人もいますが、間違ってはいけないのが、その人が攻撃してくるのであって、決してみんなが悪いわけではないということです。みんながとか、いつもとか、すべてと一般化しがちですが。

10人の1人はあなたを嫌い、7人はなんとも思わず、2人はお互いに受け入れあえる親友になれる。というユダヤの教えがあります。

この1人に注目するのか、好きと言ってくれる2人に注目するのか。

どうでもいいはずのごく一部にだけ焦点をあてて、そこから世界全体を評価しようとしている。それは人生の調和をかきます。

行為のレベルで行け入れるのか、存在のレベルで受け入れるのか。前者が幸せになる勇気に関わってくる。

幸福について

幸福とは、貢献感である

自分は誰かの役に立っていると感じることが大事

承認欲求の理由は、自分を好きになりたい。自分には勝ちがあるのだと思いたい。そのためには、私は誰かの役に立っているという貢献感がほしい。そして貢献感を得るための手段として、他者からの承認をもらっているのです。共同体感覚さえあれば、承認欲求は消える。なぜなら他者からの承認はいらないから。

自己実現について

優越性の追求

例として、問題児が挙げられます。子供は親から褒められるためにスポーツ勉強しますが、達成できないとわかったとき非行に走ります。それは、目的が他者の注目を集め、普通の状態から脱し、特別な存在になることだけを目標としているからです。これを安直な優越性の追求といいます。

普通であることの勇気

なぜ特別になろうとするのか。それは普通の自分を受け入れられないからでしょう。

普通を拒絶するあなたは、普通であるを、無能であると一緒に考えています。わざわざ自分の優越性を誇示する必要などないのです。

人生は点の連続

人生を登山や物語としてみるのはおもしろいでしょう。でも、その先にはぼんやりとした未来が見えてしまします。しかし、人生は点の連続です。

直線のように見える過去の生は、あなたが変えないと不断の決心を続けてきた結果、直線にうつっているだけ。

これからの人生は、全くの白紙で、そこに物語はありません。

今ここを丁寧に、真剣に生きる。できることから。

人生は常に完結している。20歳で死のうが、90歳で死のうが「いま、ここ」を真剣にいきていたとしたら、その瞬間は常に完結したものです。

人生における最大の嘘は、「いま、ここ」をいきないこと。

過去を見て、未来を見て、人生全体にうっすらぼんやりと光を当てて、なにか見えたつもりになることです。

あなたは、有りもしない過去と未来ばかりに光を当ててきた。大いなる嘘だ。

過去も未来も存在しないのですから、今の話だけすればいい。

決めるのは昨日でも明日でもなく「いま、ここ」です。


最後に

あなたがどんなに時間を過ごそうと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない。他者貢献を掲げていれば、常に幸福と、仲間とともにある。そして、今を真剣に生きる。

世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ私によってしか変わりえない。

世界はシンプルである。


感想:なける。いまから変わろう。傷ついてもいいから自分から貢献しよう。

10人中1人くらい嫌われたってしょうがない。あるものでなんとかするしかないのに。理想は非合理に設定してしまって、自分の首を絞めていた。

今の自分はありのままの自分なんて存在せず、他人と比較しては傷つき、優越性を頑なにとろうとした結果、友達は減り、信頼も心も自信もすり減らしてきた。最近になってやっと、他人を思いやるようになったが、原点にあるのは「いま、ここ」をありのままに勇気をだしていきる。これにほかならない。

人が怖いんじゃなくて、全員に好かれようとする自分のありえない理想を壊すのが怖いだけ。

いまから、変えていこう。すこしでも。まずは、人を怖がらず、自分から行為をだしていくことから。

アクション
・自虐しない コミュ障ではない
・1人くらい嫌われてもいい
・過去は関係ない いまどう変えるかだけ トラウマなんてない いま変えればいい
・ありのまま人を好意を持って受け入れる
・自分から話しかけにいく 自分から楽しませる
・理想は捨てて、できることをやる
・できないことは諦めて、それでも自分だと認める

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