「身体から発生する言葉」の持つ説得力
昨日の記事、知性を超えて働きかける「身体から発生する言葉」について情報を追加していきたいと思う。
上の記事を見ていない方のためにざっくりと内容を要約すると、僕の持論に「身体から発生する言葉の存在」があり、身体から発生する言葉――――体感現象を言語化した言葉を用いることにより、知性に働きかける「言葉」を超えて、感性に働きかける「風景」や「シチュエーション」を創り出すことができる、というものである。
先の記事で説明不十分だった「肉の重みを持つ言葉」について、この記事で説明していきたいと思う。
みんなが興味を持つもの
まずは僕のnoteにおけるPV表を見て欲しい。
閲覧数が多い順で記事が並んでいる。
一番上の記事は米津玄師というパワーワードが原因なので例外として、
① 自分なりにnoteの使い方を定めた記事
② 小説家になりたい僕が小説を書けなくなったという私小説
③ ひねくれ中学生が一目惚れした私小説、前編
④ 自分の感情が自分で分からないことを書いた詩
と並んでいく。さらにスキされた記事に着目して表を作ると。
① 夢やこだわりについての人生哲学
② 小説家になりたい僕が小説を書けなくなったという私小説
③ ファンタジーでも時代劇でも登場人物に「生活」があるという創作論
④ ひねくれ中学生が一目惚れした私小説、前編
となる。これらの共通点を探したときに見えてくるものは、書いた人間や登場人物の生活感、あるいは読者の身の回りでも起こりうるという親近感なのではないだろうか。
このような、どこか遠いところの出来事ではない、自分の身体に近いところに感じる出来事に、僕は「肉の重み」とでもいうような、ズシリと重い説得力・納得感を感じるのである。
これが前の記事に書いた「肉の重みを持つ文章」という言葉の意味である。この説明でニュアンスだけでも掴んでいただければ、それだけでこの記事を書いた意味があると思っている。
「肉の重み」が持つ説得力
さて、ここで話を終えてもいいのだが、どうせならそこから先、実際に文章を作るにあたっての活用にまで言及したい。蛇足に感じる方はブラウザバックをどうぞ。どうせなら感想をいただけるとより理解が深まってありがたい。
どこか遠くではなく自分自身、なんなら身体の内側に近い話ほど、読者の興味を引き、文章に説得力を持たせるということはここまでで納得いただけたと思う。
この太字を読めば、いたって簡単な結論を導くことができる。
「自分自身を創作の題材にする」
個人的には、よく聞く「自分が感じたことしか表現できない」という言葉の正体がこれなのではないかと思っている。結局みんなに読ませるためには、自分の身体に起きたことや自分自身が感じたことを書き出すしかないわけだ。
ただしこれは諸刃の剣のようなところがある。作品が自分自身に近い分、まったくの空想を書き出すよりも、批判やクレームを付けられた際に受けるダメージがひどくなるのだ。
作品へのダメ出しが、自分自身への否定と同じ意味を持ってしまうのである。感想に対して「そう感じる人もいるよね」と割り切れるようになるか、あるいは感想を見ないように自分で徹底するといった対策を講じない限り、心が折れて書けなくなってしまう可能性が高い。
そこで、意識的な視点の変換が必要になってくる。
太字になっている部分で言う「自分自身」には、二つのものが内包されているのである。すなわち、作者自身と読者自身。文章を書く段階では作者自身に作品を寄せていき、推敲したり感想を確認する段階で呼んでいる自分の身体をその文章から感じ取れるかを考えるのである。
読者分析にもこの考え方を応用できると思うが、今でもかなり脱線してしまっているので、ここから先は別の記事にまとめたいと思う。
閑話休題。
自分自身を作品に書き出すことにより、読者を引き付ける説得力や魅力を創り出すことができる。これが創作への活用方法だと提示した。
具体的にはどうすればいいのか。
昔の作家はこれを取材と言った。コンテンツを量産するべき現代の作家は取材なんて時代遅れだという人もいる。しかし僕は、遠くに情報収集に行くような大仰なものだけが取材だとはどうしても思えないのである。
例えば異世界転生。
主人公は初っぱなに命を落とし、神様の部屋に呼ばれることとなる。
これをどう書くか。
僕は、真夜中にカーテンを引き、一切の電気を消して、直立不動で部屋の真ん中に立つことを試してみた。
電気を消した瞬間、目が慣れるまでのほんの少しの間だけ、世界は本当に闇に閉ざされるのである。
目を開けていても、閉じていても変わらない。自分の手すら見ることができない。身体が重くて、肩が窮屈で、身体が揺れているように感じて、立っていることすら怖く感じる。
これを体験することだけで、立派な取材と言えるのではないだろうか。少なくともただ漠然と真っ白な世界と言い張るよりも、よっぽどリアリティが生まれる。
似たような体験を作り出し、その時の肌感覚、匂い、色、平衡感覚、そういった様々な体感現象を、記憶して書き残しておくのである。
僕はまだ自分の作品がバズったことはない。そのためこの書き方に対して絶対に読者を獲得できるという断言ができないのだが、自分の身体を通したからこそ生み出せる説得力があると、そう信じている。