人間に普遍的な感性

 人間に普遍的な感性というものはあるのだろうか。これは純粋な問いかけである。年代も、性別も、環境も関係ない、誰もが面白いと思う、誰もが美しいと思う、誰もが悲しいと思う、そんなテーマがこの世界に存在するのだろうか。

 多様化が進んだ現代、ゾーニングや差別化を狙って、誰に当てたメッセージなのかを明確にしたコンテンツを発信するのが当たり前となっている。YouTubeでも、noteでも、Web小説でも商業ゲームでも、これができていない作品は駄作とまで言われてしまう。

 これは至極真っ当な、言うまでもないほど当然の話。男子中学生が大好きなテーマの小説をOL向けの味付けで提供してもヒットするはずがない。誰にウケてほしい話なのか、逆にこのテーマならどの層に向けて書くべきか。さらには自分の普段の作風から見てこの作品を投稿しても反発を抱かれないか。そんな配慮をしなければ、僕のような何者でもないその他大勢として、誰の目にも留まらずネットの海を沈んでいくのみである。

 しかし。
 しかしだ。もしかしたら、どんな人間にも受ける「面白い」が、この世界のどこかにはあるのではないだろうか。ハリー・ポッターとか、ナルトとか、精霊の守人、君の名はのように、ある程度広い層に、欲を言えば全世界の全人類にウケる王道が、この世界のどこかにはあるのではないだろうか。

 もしそんな物があるのであれば、ゾーニングというのは自ら対象者を絞るような、いわば可能性を狭める行為でしかないことになる。

 もちろんこれは理想論で。当然「みんな」に宛てたメッセージよりも「男性」に宛てたメッセージの方が男性に深く突き刺さるはずだし、みんなが好きな作品が嫌いという、僕のようなひねくれ者はこの世界にたくさんいる。それに深く刺さった方が価値を認めてもらいやすい。いわばそれが利益に直結する。プロの表現者が作品を作るならば、それは絶対に利益を出さなければならない。

 それでも、ハリウッドで言うところの英雄の旅路、ヒーローズジャーニーのような、人類に普遍的な感性というものが、どこかにある気がしてならないのである。

 それがどんなものであるのか、僕にもまだ分からない。それはただの理想でしかなくて、現実世界には存在しないただの影であるのかもしれない。

 それでも、人間を表現する小説家を目指すからには、誰もが心を動かす、人間の根幹のようなものに触れる作品を書きたいと思うのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?