ラマヌジャン的であれ!
シュリニヴァーサ・アイヤンガー・ラマヌジャンという人をご存知でしょうか?
20世紀前半に活躍したインドの数学者です。
ラマヌジャンは「インドの魔術師」と呼ばれるほど天才的な数学者でした。
しかし、彼は知識と研究を積み重ねた数学の研究者ではなく、閃きと直感に優れていました。
タイトルにある「ラマヌジャン的であれ!」とは意訳すると「直感的であれ!」という意味です。
つまりラマヌジャンが多くの新しい数式を世に送り出したように、私たちも何かインスピレーションを得た時行動に移すことでアウトプットし、世の中に送り出して欲しいということを言いたいのです。
なるほどラマヌジャンは天才でした。
彼は頭が良いというレベルでは無く、誰もが考えつくことができない公式を発見しています。
彼は高校大学で数学の一般教育さえ受けていなかったので、常識的な公式すら知らなかったそうです。
証明という概念すら教育されていなかったので、なぜその公式がなりたつの?と聞かれると
ナマギーリ女神が夢で教えてくれたんだ!と答えました。彼は敬虔なヒンドゥー教の信者だったのです。
このアインシュタインを超えているともいわれる本物の天才ラマヌジャンと現代を生きる私たちがなんの関係があるの?天才は天才でしょ?と思うかもしれませんが、
おおいに関係があります。
私たちは、世界中に存在する人間1人1人が天才だからです。
正確にいうと天才だった人たちもいます。
大人、特に日本人は常識という言葉が大好きです。
常識、伝統、ルール、礼儀、教育、教養、当たり前、理論的、理屈、将来を考えると、安泰など(意味が被っているものもあるかもしれませんがご容赦下さい)
隣の人も一緒だから安心だ、というなんの根拠もない理由
みんなそうやっているから安心だという下らない感情で子供の個性を潰し、皆と同じ能力になるようにしている。
本来であれば皆熱中できるものが一つはあったはずです、
しかし、可能性を潰す教育をし続けた結果、特に違いが無い人間が増え続けている。
生まれて物心がつく頃までは誰もが天才だったのです。
そう、ラマヌジャンのように。
私たちはいつしか自分に枷をつけてしまいました。
枷に染まりすぎて本来の自分を取り戻すことができない人もいるかもしれません。
天才とまではいかなくても「直感」というものは誰もがもっているものだと思います。
まずは直感を行動に移してみることから始めましょう。
理屈や常識に沿っている必要は全くありません。
なんでそんなこと始めたの?
「楽しいからさ!」
そんなことしないで勉強したら?
「勉強しないでアイデアを行動に移してみたら?」
常識じゃありえないよ!
「誰が決めた常識?10年後に私が常識にしてみせるよ!」
理屈に沿って行動しなくても良いのです!
矛盾だらけでいいのです。
ラマヌジャンと共に研究をしたイギリスのハーディ教授は次のように述懐しています。最後の文章は素晴らしいです。
(ラマヌジャンの仕事は)真に偉大な仕事の単純さと不可避性を備えてはいなかった。それは奇妙さが減れば、より偉大になっただろう。しかしそこには誰も否定できない天賦の才能があった。それは深く無敵の独創性である。もし彼がもっと若い頃に発見され、馴らされていたら、おそらくもっと偉大な数学者になって、新しい発見やより重要な発見をしただろう。一方、彼はそれほど「ラマヌジャン的」でなくなり、ヨーロッパの教授風になって、得るものより失うもののほうが大きかったかもしれない。
世界よ!ラマヌジャン的であれ!
直感を行動に移す重要性については
https://note.mu/ryutasan/n/n9dd7dbc509ea
「信長の強さは直感と行動にあり」で解説しています。こちらは一部有料になりますが、もしよかったら是非。
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