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47.澤水困(たくすいこん)【易経六十四卦】

澤水困(くるしむ/困窮)

夜中のサイレン澤水困/夜中の水漏れ澤水困

困卦の象徴的な意味

困卦は、異なる卦が重なる形で成り立っている。下卦は坎で水を表し、上卦は兌で沢を表す。坎の水が下にあり、兌の沢が上にある状態だ。沢の水が下の坎水に落ちて、沢の水が減少する。また、坎の水が流れて海に入ることで、坎水も減っていき、水の勢いが弱まり困難に直面する。このことから、二つの水が合わさると水量が増え、災害を引き起こし、人々に困難をもたらすとも解釈できる。
卦象から見ると、坎は危険を意味し下に位置し、兌は喜びを表し上に位置する。これは、先に危険に直面し、その後に困難を乗り越えることで喜びが得られることを意味している。困難な状況に陥っても、正しい道を守り楽しみを見つけることで、成功に繋がり、困難から抜け出すことができるという教えだ。
困卦の象徴は、上卦が兌で沢、下卦が坎で水を表している。大きな沢の下に水があるが、その水が枯渇している状態を示し、「沢に水がない」という困難の象徴となる。沢に水がなければ魚や貝が生存できず、それに依存している人々も生活が困窮する。これが困卦が表すもう一つの意味である。


shortage:欠乏/exhaustion:消耗

意の如くならざる時なり。 黙して時期を待つべし。

升而不已必困。故受之以困。(序卦伝)

升ってまざれば、必ず困しむ。故にこれを受くるに困を以てす。

困卦は升卦の後に位置しており、『序卦』では「昇り続ければ必ず困難に直面する。だから困が続く」と説明されている。常に上昇し続けるわけではなく、最終的には困難が訪れる。そしてその困難の中でこそ人格が試され、道が開けるチャンスが訪れる。


ただひたすら登り続けることしか知らなければ、いずれ壁にぶつかり、困難に直面することになるだろう。「困」という字自体が、困窮を意味している。木が囲いの中で成長しようとしても、障害によって押さえつけられ、苦悩している姿を表している。この字は、進む道が閉ざされ、どうすることもできずに悩む状態を描いている。この卦が教えているのは、そうした困難な状況に直面したとき、どう向き合い、乗り越えるべきかということ。


困卦の名は「困」であり、甲骨文字では「困」は家の中に木が生えている様子を描いている。家の中に木が生えているということは、家が放置され、誰も住んでいない状態を表している。『説文解字』によれば「困」は「使われなくなった家」の意味を持つ。つまり、誰も住まなくなった家だが、貧しい流浪者が一時的にこの家を住処として使うこともある。このため、「困」には貧困や困窮の意味が含まれる。俗に「花は百日咲かず、月は三日満ちず」と言われるように、栄える時期があれば必ず終わりがあり、最終的には困難に直面するという意味だ。これは『序卦伝』にある「昇り続ければ必ず困難が訪れる。だから困卦が続く」という教えを示している。

いろいろと無理や力不足がたたって現在非常に苦しんでいるときである。 こんな時は物質的なら金や物が不足して困ることになるし、精神的なら人間関係のトラブルが起きたり、過労から病気になったりすることもある。 運勢は無論弱衰運で、もし積極的に打ってでもすれば身の破滅にもなり兼ねないからくれぐれもはやまらないこと。 一に忍耐二に辛抱。この卦の時は極力耐えぬき、損害を最小限度に食い止めるよう努力すること。無理を重ねているときは何をやってもダメである。 物事がなるときは、すべての段取りがスムーズに行く場合が多いことを知るべきだ。 じっと耐え、無理をせず頑張っておれば必ず次の機会に笑える時がやってくるもの。

[嶋謙州]

発展向上すると、注意しないとよく行き詰まる、困却し苦しむ。そこで困の卦をおいて、どういうふうにして初志をとげたらよいか、自分の運命をどうして開くかを教えております。 そこで大象には、致命遂志―命を致し志を遂ぐ、とあります。 どのような小さな仕事、事業であっても、一命を投げ打って初志を貫き目的を達することだ。 これをやりませんとせっかくやった仕事、あるいは発展させた事業も、ちょうど沢に水がなくなるように駄目になる。 易は行き詰まるということがありません。どこまでもクリエート、リクリエートしてやみません。それは場合によっては循環であります。 そこで升の卦の次に困の卦をおいて、いい気になり過ぎては駄目である、升ったから苦しむのであると戒めておるのであります。

[安岡正篤]

困。亨。貞。大人吉无咎。有言不信。

困は、亨る。貞し。大人は吉にして咎なし。言うことあれど信ぜられず。

困とは「こまる」と読まれ、その意味するところは、苦しみや難儀、窮することであり、これらの意味が重なって「困苦」「困難」「困窮」という言葉が生まれています。同様に、「くるしみ」「なやむ」を象徴する屯䷂・蹇䷦・重坎䷜とともに、これらを易の四大難卦としています。

それでは、三陰三陽からなる「沢水困」は、どのような困難を意味するのでしょうか。まず第一に、外卦の兌の沢の上にあるべき坎の水が下に漏れ、水が枯れている状態を示します。これは涸渇による苦難を意味し、本来あるべき場所に存在しないこと自体が一つの「困」となります。また、必要なものを持たない場所でそれを得ようとする努力が実らない場合も、窮地に立たされる「困」といえます。さらに、坎の水があるにもかかわらず、それが本来あるべき兌沢の外に存在する状況は、物事が正しく配置されず、適切に行き渡っていない「困」を引き起こします。

中爻である九二と九五はいずれも陽(君子)でありながら、陰(小人)に覆われ、君子の道が現れないという「困」の世界も考慮されます。「困は亨る」とは、成功や発展を意味するのではなく、「窮通」することを指しています。また、「貞し」とは、その困難に屈せず、逃れるのではなく、正しい道を堅持し続けることを意味しています。これは、大人になることで初めて実現できるとされ、「大人は吉にして咎なし」という格言に通じます。

「言うことあれど、信ぜられず」とは、困窮の時にいくら弁舌をふるっても信頼されず、正しい内容であっても、言い訳や虚偽と捉えられてしまうことを指します。このような時は、口を閉ざし、沈黙する方が賢明です。「言あり」とは、「言いたいことがある」という意味と「言葉を用いることが多い」という両方の意味を含んでおり、これは外卦兌の象です。同じ外卦の兌から、君子が困難に直面しても喜びを失わないことや、小人が困難に遭遇すると口論や言い争いに走ることが示唆されます。「信」は坎の孚を指していますが、その坎は兌の中から漏れてしまっているため、「言あるも信ぜられず」という状況となっています。


彖曰。困。剛揜也。險以説。困而不失其所亨。其唯君子乎。貞大人吉。以剛中也。有言不信。尚口乃窮也。

彖に曰く、困は剛おおわるるなり。険にして以て説ぶ。困しみてその亨るところを失わざるは、それ唯だ君子のみか。貞し、大人は吉なりは、剛中なるを以てなり。言うことあるも信じぜられずは、口をたっとべば|乃すなわち窮するなり。

『揜』とは、覆い隠すことを意味します。困とは、陽が陰に覆い隠されること、すなわち君子が小人に隠蔽されて苦しむことを指します。これは卦の形状に由来しています。険がありつつも説が存在することは、苦しみの中にあっても自分の心の満足(=所亭)の楽しみを失わないことを意味します。これを実現できるのは、顔回のような君子だけであろう。
『貞し』というのは、大人にとっては吉であるという意味です。これは、九二と九五が剛爻であり、上下卦の「中」を得ているため、困苦の中でも毅然として正道を失わないことを示しています。
『言うことあれど信ぜられず』とは、困窮した人がどれだけ言葉を尽くしても、人々はそれを信じないことを指します。言葉巧みにして(=尚口)、それで困窮を切り抜けようとすれば、かえって(=乃)ますます窮地に陥るという戒めです。


象曰。澤无水困。君子以致命遂志。

象に曰く、たくに水なきは困なり。君子以て命を致し志しをぐ。

の下に水がある。ということは水が沢の下に漏れて、沢が涸れている形。だから困と名付ける。君子はこの卦のような困窮の時に当たり、自分の生命を投げ出して、理想を達成しようとする。命を致す、『論語』子張篇に「士は危うきを見て命を致す」とある。

初六。臀困于株木。入于幽谷。三歳不覿。 象曰。入于幽谷。幽不明也。

初六は、臀株木いさらいしゅぼくに困しむ。幽谷ゆうこくに入る。三歳さんさいまで覿みず。 象に曰く、幽谷に入る、幽とは明らかならざるなり。

朱子は『困卦は理会し難し。暁るべからず』という。確かに語句は難解だが、具象的なだけに、イメージは割りに把握し易い。 『株木』は木の切り株。『幽谷』は奥深い谷。『覿』は私的に会見する。 初六は陰柔、小人の身でもって、困卦の一番下、険の下におる。困窮のどん底におる。じっと落ち着いてはいられない。木の切り株に坐れば尻が痛んで長く坐っておれないようなもの。『臀』は胴体の底、初六の位置に当たる。 『幽谷に入る』初六の身の置きどころは、困の底、険阻の下、最も暗い。奥深く暗い谷に入りこんだようなもの、三年の間(しばらくの間)は、谷を出て人に会うことはない。 象伝は幽谷の幽の字を解釈する。不明は場所が暗い意味と、智慧が不明の意味と兼ねる。占ってこの爻を得れば、困窮のどん底に陥る。三年間(しばらくの間)、日の目を見ない。
困の時にあって、その亨るところを失わないのは、大人君子であって爻で言えば剛中なるものが、それに当たる。しかし、初六は剛でも中でもないので、困しみつつ『貞』を貫くことができず、みだりに動いて窮地に迷い入ってしまうのである。 その安居できないことを『臀、株木に困しむ』と形容し、動いてさまよう様子を『幽谷に入る』としている。ついに窮地を脱することができないのを『三歳観ず』と言ったのである。
外柔中剛の坎を芯の堅い木とも見ることが出来るが、卦は沢水困で水の潤いのない卦だから、その木はもう枯れてしまっている。そして初六は、根元にあたるので『株木』切り株に喩えている。 陰柔なこの爻は、あたかも切り株に座ってお尻が痛むように、安居することができないのである。そのように安居することができずに迷い入る場所だが、坎を暗いとし穴とし、隠伏とし、水とするので、その下爻である初六を『幽谷に入る』と言っている。また、この坎は離を伏しているところから『幽にして明らかならず』と言い『観ず』と言っている。


九二。困于酒食。朱紱方來。利用亨祀。征凶。无咎。 象曰。困于酒食。中有慶也。

九二は、酒食しゅしに困しむ。朱紱方しゅふつまさに来る。用て亨祀きょうしするに利あり。けばきょうとがなし。 象に曰く、酒食に困しむは、ちゅうにしてよろこびあるなり。

『朱紱』は王者の服の朱色の絹の膝覆いを指します。『亨』は「享」と同じで、祭祀を意味します。この九二の爻は「困しみて、その亨るところを失わない」という剛中の君子の姿を表しています。
そのため、困難な状況にあっても、騒ぎ立てず、心を悩ませることなく、酒食を楽しみながら時運の好転を待つことができます。したがって「酒食に困しむ」と読むよりも「困・酒食においてす」と読む方が理解しやすいかもしれません。
これは䷄水天需九五の境地にも似ており、酒食は坎の象徴でもあります。このように焦らず、困難に耐えつつ貞を守っていれば、(応位の九五とは応じないものの)天下の困難を救うべき人物として九二の器を認められ、九五が引き上げに来るということです。
九二は剛が「中」を得ており、非常に立派な身分ですが、困の卦にあるため多少の困難は避けられません。しかし、それは不足による困難ではなく、むしろ有り余る困難です。酒やご馳走で責められて困っていると思えば、朱色の前垂れが今まさにやって来るのです。服は階級を示すため、望まない高い地位を押し付けられるという意味です。
占ってこの爻を得れば、望むものすべてを得ることができ、多過ぎて困るほどです。これによって祭祀(亨祀)するのは良いのですが、前進(征)しようとするのはまだその時ではありません。その結果は凶です。しかし道義的には*咎はありません。

※注:加藤大岳は『咎なし』を衍文と解し不要としています

象伝の『中有慶也』は「剛中」の徳があるために福があることを意味します。通常の卦では、二と五の陰陽相反する爻が応じることで吉となりますが、小畜䷈と困䷮は、陽が陰に苛められる時であり、二も五も陽爻同志で相応ずることが良いとされています。


六三。困于石。據于蒺藜。入于其宮。不見其妻。凶。 象曰。據于蒺藜。乘剛也。入于其宮不見其妻。不祥也。

六三は、石に困しみ、蒺藜しつりる。そのきゅうに入りて、その妻を見ず。凶なり。 象に曰く、蒺藜に拠るは、剛に乗ればなり。その宮に入りてその妻を見ざるは、不祥ふしょうなり。

『蒺藜』は、いばらであり、坎の象意を示します。『拠』は座を落ち着けることを意味し、『宮』は家を指します。六三は陰柔な性質を持つ小人であり、「不中」「不正」の状態にあります(陰爻が陽位にあるため)。そのため、その地位に安んじていることができません。
前進しようとすると、九四という大きな石(剛性の象徴)が立ちはだかり、押しても動かず疲れるだけです。この六三は、初六と同様に陰柔で不正なため、困難な状況にありながら安住することができません。そこで、困難を避けるために動こうとするのですが、九四の陽爻が前方に立ちはだかり、進むことができません。これが『石に困しむ』という状態です。
退いて逃れようとすれば、坎の主爻である九二が棘草のように立ちはだかり、それを妨げます。そこで仕方なく自分の住まいに留まって憩おうとすると、慰めを求めるべき妻の姿も見当たりません。『其の宮に入り、其の妻を見ず』という状況です。
わが家は三の位にあり、妻は三の配偶の上爻に位置していますが、陰爻同志で応じないため、妻を見つけることができません。わが家とわが妻は、身を安んじるべき場所であるにもかかわらず、家に入っても妻が見えないということは、身の置き場所がなく、不祥極まりないことです。
孔子は繋辞伝の中で、この爻辞を引用して次のように説明しています。
「困しむ所にあらずして困しめば、名必ず辱しめらる。拠る所にあらずして拠れば、身必ず危うし。既に辱しめられ且つ危うし、死期まさに至らんとす。妻それ見るを得べけんや」と。
占ってこの爻を得た場合、凶であることは言うまでもありません。


九四。來徐徐。困于金車。吝。有終。 象曰。來徐徐。志在下也。雖不當位。有與也。

九四は、きたること徐徐じょじょたり。金車きんしゃくるしむ。吝なれど、終わりあり。 象に曰く、来ること徐徐たるは、志し下に在るなり。位に当らずといえども、ともあるなり。

『徐々』とは遅れて進む様子を表します。初六は九四と応じる位置にあります。初六が困難な状況に陥っているのを、九四が助けるべき立場にありますが、九四は「不正」(陽爻陰位)のため、その力は十分ではありません。さらに、九二という金車が途中で障害となります。金車とは、重い物を積んでも壊れない堅固な車のことです。この金車は動かそうとしても動かず(=金車に困しむ)、そのため九四の助けは遅々としたものになります(=来徐々)。
『往』とは下から上へ向かうことを、『来』とは上から下へ向かうことを意味します。『来ること徐徐たり』は、九四が初六の困窮を救おうとする意思があるものの、その過程が迅速でない理由は、九二(金車)が障害となっているからです。金車が九二の象徴とされる理由について、朱子は未詳ながらも、☵坎に車輪の象がある(説卦伝)ことに起因すると述べています。また、金は剛強なため、九二の剛爻に該当します。助けるのに遅れをとるのは恥ずべきことですが、邪は正に勝てないため、最終的には九二の障害も排除されます。
したがって、占断としては、羞ずべきこと(=吝)こそあるものの、最終的には良い結果(=有終)を迎えると解釈されます。象伝によれば、九四の意思が初六に向かっていることを『志し下にあり』とし、位に適していないが助けがあることを『与ありは有終』と説明しています。九四は不正の位置にあるものの、初六という応じる仲間がいるため、結局は良い結果に終わるのです。


九五。劓刖。困于赤紱。乃徐有說。利用祭祀。 象曰。劓刖。志未得也。乃徐有說。以中直也。利用祭祀。受福也。

九五は、はなきられあしたたる。赤紱せきふつに困しむ。乃ちようやくにしてよろこびあり。用て祭祀さいしするに利あり。 象に曰く、はなきられあしたたるは、こころざしいまだ得ざるなり。乃ちようやくにしてよろこびあるは、中直ちゅうちょくを以てなり。用て祭祀さいしするに利あり、ふくを受くるなり。

『劓』は鼻を切る刑罰であり、『刖』は足を切る刑罰です。この九五の爻は、困卦の主爻に位置し、剛健な性質をもって『困は亨る』という通達をもたらします。
困難をどのように解決するかと言えば、消極的には困難の原因を取り除き、積極的には対策を講じることになります。その原因の除去として用いられるのが『劓刖』の刑罰であり、陰邪である初六と六三の鼻を削ぎ、足を斬るという形で行われます。
しかし、小人を処罰するだけでは『未だ志を得ざるなり』となり、次に賢臣を挙げ用いる必要が生じます。しかし、その賢臣が見つからないことが『赤紱に困しむ』という状況です。
『朱紱』が天子の服飾であるのに対し、『赤紱』は諸侯の服飾を指します。この爻は祭祀に用いるのに適しており、根気よく祭れば福がもたらされるでしょう。二爻も五爻も祭祀に適しているのは、二と五が互いに応じていなくても、誠意を尽くしている点で神と人との関係に似ているからです。象伝の「中直」は「中」であり、剛直であることを意味します。


上六。困于葛藟。于臲卼。曰動悔。有悔。征吉。 象曰。困于葛藟。未當也。動悔有悔吉。行也。

上六は、葛藟かつり臲卼げつごくに困しむ。ここうごけばゆ。いることあれば、きて吉なり。 象に曰く、葛藟かつりに困しむは、いまだたらざればなり。うごけばいることあれば吉とは、けばなり。

『葛藟』は、くずやかずらを意味します。『臲卼』はごつごつした険しい場所を示し、不安や動揺の形容にも用いられます。『曰えつ』は『爰えん(ここにおいて)』と同義です。初六の陰は、その低い地位を切り株に喩えましたが、この爻は卦の最も高い位置、すなわち三四五の巽の上にあるため、つる草に喩えられ、風に揺れ動く様子が想像されています。
上六は陰の小人であり、困難の極みにあります。蔓草に絡まれて動けず、険しい岩場に苦しんでいます。このような状況で動くと後悔することになります(=曰動悔)。困難に直面しているため、初六と同様に堅守することができず、不安定で揺れ動いています。そのため、この状態で行動すると『幽谷に入る』や『その妻を見ない』といった後悔を招くので、自ら『動くな』と戒めるのです。
上六は兌の主爻であり、自らに諭して『動けば悔いる』と言います。その悔いは深く後悔すべきものです。しかし、これに気付き、悔い改めてから行動すれば、初めて吉を得ることができます。物事が極まれば変化が生じます。占いでこの爻を得た人が、自分の小人としての生き方を悔い改め、高みにある立場を捨てれば、前進して吉を得ることができます(=有悔征吉)。上爻からさらに前進すれば、困卦の外に出るからです。


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