34.雷天大壮(らいてんだいそう)【易経六十四卦】
雷天大壯(大きなものの隆盛/はやる馬)
「Léi Tiān Dà Zhuàng」(レイ ティエン ダー ジュアン)
positiveness:積極/the power of the great:偉大な力
運気盛大なり。されど自制自戒すべし。 血気にはやり、急進すべからず、ブレーキを踏むべし。
大壮卦は非常に強盛な象徴を持ち、その啓示は「壮して妄動せず」、つまり力強くなったとしても無謀な行動を避けるべきだと戒めている。
物不可以終遯。故受之以大壯。(序卦伝)
この卦の名は「大壮」である。『説文』によれば「壮」とは「大きい」という意味である。古代中国では、三十歳の男性を「壮年」と称していた。「壮」とは力強さや成長を意味することがわかる。遁卦は隠遁して自分を守り、能力を蓄えることを象徴している。隠者が山林に住み、力を蓄え続けるように、時間をかけてその能力が強大になった状態を表している。そのため、遁卦の次に大壮卦が続く。
これはまるで董仲舒が長年、聖人の教えを学び、最後に大成したようなものだ。これが『序卦伝』でいう「物は終始に遁ずることはできない。ゆえにこれを受けて大壮とする」という意味である。しかし、大壮卦は前進を表しているわけではなく、隠遁の結果、力を十分に蓄えた状態、すなわち発展の準備が整ったことを示している。
物事というのは、いつまでも後退し続けるわけにはいきません。退いて自分を養っているうちに、徐々に力がついてきて、やがて勢いを増していきます。大壮とは、大きなもの、すなわち陽の勢いが壮んでいる状態を指します。気が下から盛り上がり、上にある陰の気を弱める様子を表しています。
陰気なことはすべて忘れ、陽気に明るく振る舞う状態です。したがって、外見ほどには実質が伴わないことに対する不満が生じます。ちょうど天(乾☰)の上で雷鳴(震☳)が轟きながら、雨が降る気配が全くない卦象そのものです。
こういうときには、自分自身を再評価する必要があります。陽の君子の勢いが盛んであり、小人の勢いは徐々に衰え、最終的には小人は完全に滅びます。勢いが盛んな時は、その勢いに乗って行き過ぎてしまう危険があるため、「特に大壮の時には、正しいことを堅く守るのが良い」という戒めがあります。
大壯。利貞。
大壮卦は異なる卦が重なったもので、下卦は乾、上卦は震である。震は雷を表し、乾は天を意味する。天に雷が鳴り響き、雲と雷が巻き起こり、その声と勢いは非常に大きい。陽の気が盛んに充ち、万物が成長し、力強くなっているため、これを「壮」と呼ぶ。大きく力強いことから「大壮」と名付けられた。
この卦は消息卦の一つであり、二月(旧暦)の卦です。四つの陽が壮んに成長していることを示しています。陽(=大)が盛んであるという意味から、大壮と名付けられています。陽、すなわち君子が伸びる卦であるため、この卦を得たならば、願いごとは成就し、吉となることは明らかです。ただし、貞を守り、その貞しさを堅持することが条件となります(=利貞)。勢いが盛んであっても、正道を得なければ、ただの乱暴に陥る危険があります。
大壮卦の卦象:卦象を分析すると、下の陽爻は陽気の強盛さを象徴し、上の陰爻は陰気の衰退を象徴しています。大壮卦は十二消息卦の一つであり、春分を表しています。大壮卦の六爻は、啓蟄から清明にかけての30日余りを示しています。五日ごとに一候、一爻が一候を表します。
この時期、万物は活動を始め、草木が成長し、動物たちも繁殖を開始します。また、既に啓蟄を過ぎ、天には雷鳴が聞こえ始め、大地には勢いのある景象が広がります。大壮卦の上卦は震で雷、下卦は乾で天を表し、天を轟く雷の音が大壮卦の最大の象徴となっています。
彖曰。大壯。大者壯也。剛以動。故壯。大壯利貞。大者正也。正大而天地之情可見矣。
『大壮』という卦名は、陽の力が盛んで、卦の半分以上を占めるほど強大であることを示しています。これは卦全体の構造を指しています。さらに細かく見ると、下卦の乾は剛健で最も剛強であり、上卦の震は動きを象徴しています。このように、剛健な力が動くことによって、盛大な状態が生まれます。
「大壮は貞しきに利あり」と卦辞にあるように、ここでの「大なる者」、すなわち陽の力は、単に強大であるだけでなく、正しくあるべきだとされています。つまり、大壮でありながら正しさを持つことが求められます。大壮であり且つ正しければ、それは正大という状態になります。究極的に正しく、究極的に大きくなれば、その人物は天地と肩を並べるほどの存在となり、天地の秘密をも見通すことができるでしょう。なぜなら、天地の道もまた正大であるからです。
象曰。雷在天上大壯。君子以非禮弗履。
この卦は、雷が天上で激しく鳴り響いている様を示しています。壮大で勢いがある様子を表しているため、「大壮」と名付けられました。君子はこの卦を手本にし、君子としての大きな目標や壮大な行動を実践します。君子の「壮」は、他人に勝つことではなく、自分自身に打ち勝つことを指します。老子も「自ら勝つ者は強し」と説いています。君子は雷のような威厳と決断力を持って、自分に打ち勝つ努力をしなければなりません。
では、自分に勝つ道とは何でしょうか。それは「礼」の実践です。礼に反する行動を一切しないことが、自分に打ち勝つことであり、君子の強さ、すなわち君子の大壮を示すのです。孔子は、仁(最高の道徳)とは何かと問われた際に、「己れに克ち礼に復ること」と答えました。そしてさらにそれを詳しく説明して、「礼に非れば視る勿れ、礼に非れば聴く勿れ、礼に非れば言う勿れ、礼に非れば動く勿れ」と述べています(『論語』顔淵)。これはこの象伝の思想と一致するものです。
初九。壯于趾。征凶。有孚。 象曰。壯于趾。其孚窮也。
趾とは足首から下の部分を指します。人体の最も下に位置し、前進や移動を司る部分です。従って、趾が壮んである、すなわち趾に元気があるということは、前進し動こうとする意欲が旺盛であることを象徴します。
初九は陽剛であり、大壮の卦の最も低い位置にあります。大壮は陽気が盛んな時期を示すため、初九もまた、当然のごとく進もうとする意気込みに満ちています。ここで趾に壮んというイメージが用いられています。
判断として、進む時は凶、孚ありとされます。征とは進むことを意味し、孚は信頼や約束を守ることから、「必ず」という意味を持ちます。最下位にありながら壮んに進もうとすることは、自分の立場をわきまえない破滅の道であります。この爻を得た場合、動いてはいけません。進めば凶になることは確実です。象伝において、孚に窮すとは、必ず困難に陥るという意味です。
九二。貞吉。 象曰。九二貞吉。以中也。
九二の陽爻は陰位にあります。これはすなわち「不正」であることを意味します。しかし、幸いにも二という位は内卦の「中」にあたります。中庸の徳を守ることで、不当な場所にいながらも心の貞しさを保つことができます。したがって、作者は占う人に対して戒めます。中庸を保ち、美しい道を求めるならば、最終的には吉を得るでしょう。
勢いが盛んな時には過度に陥りがちです。このため、中庸の徳が何よりも重要となります。この夏も「不正」ですが、「中」によって救われています。しかし、不正な場所にいるため、この爻に当たった場合は、自分を守り、進むべきではありません。
九三。小人用壯。君子用罔。貞厲。羝羊觸藩。羸其角。 象曰。小人用壯。君子罔也。
『罔』は「亡」や「無」の仮借であり、『羝羊』は牡羊を意味します。『藩』は籬で、『羸』はひっかかって困ることを指します。
九三は剛が剛位にあります。下から数えて既に三つの剛が重なり、「中」(二)を外れ、過剛の状態です。これは非常に壮んな状態を意味します。
小人は他者に勝つことを好むため、この壮んな力を用いて突進しますが、君子は自己克服を重視するため、このような方法を用いることはありません。
『貞なるも厲し』は、過度な壮を用いることへの戒めです。
この爻を得た人は、他人に勝とうとして過度に力を用いると、事は正しくても結果は危うくなります。例えば、牡羊が暴走して生け垣に頭を突っ込み、角をいばらに引っ掛けて困っているような状態になるでしょう。
羊は強情な動物とされており、その性質が事態を更に困難にします。
九四。貞吉悔亡。藩決不羸。壯于大輿之輹。 象曰。藩決不羸。尚往也。
『決』は切れることを意味し、開放を象徴します。『輿』は車両のことを指し、『輹』は車軸を車台に固定する革のことです。
九四の位置はすでに卦の半ばを越えており、剛爻が重なっているため非常に勢いがあります。しかし、剛の性質が柔の位置にあるため「不正」の状態です。このままでは後悔が生じる可能性が高いです。そこで、占者は戒めの言葉を述べます。「貞しければ吉にして悔い亡ぶ」、つまり身を正しく保ち、その正しさを堅持すれば結果は吉となり、懸念される悔いも未然に防げるでしょう。
これは、例えば牡羊の前方にある生け垣が割れて、その角に絡まることがないような状態です。九三では生け垣が遮り、角が絡まりましたが、ここでは生け垣が開けています。なぜなら、九四の前方には柔があるからです。
「大輿の輹に壮ん」とは、大きな車の軸承が頑丈であることを意味し、限りない前進の可能性を示唆します。車軸が車台にしっかりと固定されていなければ、重い車は前進できません。この爻が「不正」であるにもかかわらず九三よりも吉であるのは、剛と柔の位置が適度に調和しているためです。
象伝の意味は、生け垣が割れて陽がさらに前進できることを示しています。九四の前方が陰となるため、陽の前進がここで止まるように見えますが、そうではないことに注意を促しています。
六五。喪羊于易。无悔。 象曰。喪羊于易。位不當也。
この卦に羊の象徴が用いられる理由は、䷡の二画を一画に数えることで兌☱となる点にあります。兌は外柔内剛を表し、羊の象徴がそこにあります。
易において、田の畔という概念が重要です。六五は柔であり「中」に位置しています。中庸で柔和であるということは、もはや大壮(陽が壮んでいる状態)の特性を失っていることを意味します。そこで、この爻の状況の象徴として、羊が田の畔に見失われるという表現が用いられるのです。
羊は、大社の象徴であるため、このような解釈がなされます。
占断としては悔いなしとされます。力強い前進はもはやないものの、後悔するようなことはありません。大壮の時は過度の進展を警戒すべきですが、中庸を得た六五はその点で安全と言えるのです。
象伝の解釈によると、五は陽位でありながら陰爻が位置しているため、本来あるべき陽の隆盛が見失われるということになります。
上六。羝羊觸藩。不能退。不能遂。无攸利。艱則吉。 象曰。不能退不能遂。不詳也。艱則吉。咎不長也。
『触』は角で突くことを意味し、『遂』は道を進むことを指します。『詳』は祥と同じ意味を持ちます。
上の位は極点に位置し、大壮の極点に達しています。そのため、勢いよく前進します。これは、牡羊が生け垣に角を突き込んで後退できない状況を象徴しています。しかし、上六は陰であるため、力がもう一歩足りません。そのため、生け垣を破って進むこともできません。
もし占ってこの爻を得た場合、力不足にもかかわらず無謀に進むことで、どうにもならない不吉な運命に陥ることになります。利益は一切ありません。
しかし、幸いなことに、上六は柔軟な爻です。運命に逆らわず、柔軟に対応することができます。困難な立場にあることを自覚し、忍耐強く耐えるならば、やがて障害は取り除かれ、良い結果を得ることができるでしょう。
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