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42.風雷益(ふうらいえき)【易経六十四卦】

風雷益(ふやす/公益)

語呂合わせ:42.死にものぐるいで易の勉強 風雷益/世人(よにん)が得する 風雷益

profit:利益/increase:増加,増大,増進

天機まさに来る。乗ずべし。 私利私欲に走るべからず。


損而不已必益。故受之以益。(序卦伝)

損らしてまざれば、必ず益す。故にこれを受くるに益を以てす。

いつまでも損じてばかりいれば、油断していた気持も引き締まり、結果必ず益して増しふやすようになる。益は、物がふえること。物をふやすこと。益の字は、皿の上に、横になった水の字があり、皿の上に水を入れる形を表している。皿の中に水を注いで、増しふやしてゆく形。 ䷨山澤損の場合とは逆に、上を損して下を益やすこと、上に立つ者が広く人びとを潤すことである。積極的に困難を克服して、広く社会的利益をはかる者には大吉の卦である。

動けば利を見ると云うか、何事もとんとん拍子に流れのままに有利に事を運んでくれるとき。四方八方からカネが降って湧いてくると云えば大げさだが、何かそれに似た感じで、思わぬところからカネが転がり込んでくるとか、金儲けというより趣味程度で始めたことが当たって面白い程儲かるとか云ったことが起こって来る。 金銭に限らず何事も順調にスムーズに行くときで、運勢は上々吉。 何をやっても上手く行くし、成功の可能性は大きいが、運が良いからと云って何でもかでも手を出して出鱈目のことはしないよう、欲も程ほどに。中庸の道を心する。 折角の好機はそうざらにないから、よく現状を踏まえて有効に行動を起こすこと。

[嶋謙州]

益というものは、損すなわち克己的精神、克己的生活という過程を経て、初めて得る自由をいいます。 ex.,貝原益軒(1630~1714)の初号は損軒であった。八十四歳で亡くなる1年か2年前に初めて益軒に改めた。 若いときはなかなかの道楽者であったが、これではいけないと中年から勉強を始め、忿りを懲らして欲を窒ぐ生活をした人である。 易は損の卦が先であります。自分であくまでも克己努力をして、それから自由を得る。 これが益であります。

[安岡正篤]

益。利有攸往。利渉大川。

益は往くところあるに利あり。大川たいせんを渉るに利あり。

この卦は、否䷋の上卦にある一陽爻(九四)を下卦に移し、形状が反転したものであります。卦の意味が「損」と逆であるように、その形も「損」を上下逆にした形状です。「益」とは増益を意味し、損失を伴う「損」とは正反対の象徴です。上を損し下を益する、つまり支配者の富を減らして民に与えることで「益」となります。六二と九五は共に「中正」であり、相互に応じているため、進む先に利益があります。さらに、下卦の震は動く性質があり、進むことに利があります。
上卦の巽は木を象徴し、下卦の震は動きを示し、動く木は船を象徴するため、大河を渡ることに利益があります。この卦が出れば、富が増加する兆しです。どこかへ赴く、すなわち積極的に行動することが良いとされ、大河を渡る、すなわち冒険に出ることも推奨されます。


彖曰。益損上益下。民説无疆。自上下下。其道大光。利有攸往。中正有慶。利渉大川。木道乃行。益動自巽。日進无疆。天施地生。其益无方。凡益之道。與時偕行。

彖に曰く、益は、かみを損してしもに益す、民説たみよろこぶことかぎりなし。かみよりしてしもくだる、その道大いにあらわる。往くところあるに利あるは、中正にして慶びあればなり。大川を渉るに利あるは、木の道すなわらるるなり。益は動いてそんなり、日に進むことかぎりなし。天はほどこし地しょうず、益すことところなし。およえきの道、時とともおこなわる。

『説』は悦と同義です。『疆』は田の境界を指し、『无疆』は無限を意味します。『光』は顕すことを表し、広く解釈することが可能です。『方』は場所を意味し、『无方』は無際限を表します。益は上から下に利益をもたらすことを意味し、そうすることで下の人々の喜びは限りないものとなります。
の上卦から一陽が下卦に下り、つまり上の君主が謙虚になり、下の人々の富を増やすこと、その道理は大いに輝かしいものです。時や状況に従順かつ積極的に行動すれば益をもたらし、日々限りなく進展するのです。
卦辞に『往くところあるに利あり』というのは、九五の「中正」に六二の「中正」が「応」じるという吉兆であり、進むことで自然と福が訪れることを意味します。大川を渉るに利ありとは、上卦が木、下卦が動、木が水に浮かび進む形を指します。木には水に浮く性質があり、ここに至って木が推し進められる、すなわち舟となります。
舟があれば大川を渉るのに有利であるということです。益䷩の内外卦の徳を見れば、動くと巽うです。理に適って動くとき、その益は日々無限に進展します。䷋の九四と初六が入れ替わってこの卦となったのは、天が下卦に一陽を施し、地が上卦に一陰を生じさせたためです。天が施し地が生み出せば、万物の増益は際限がありません。すべてのものを益し、他人に益をもたらす道は、天地が季節に応じて万物を益すように、適切な時機に応じて行われなければならないのです。


象曰。風雷益。君子以見善則遷。有過則改。

象に曰く、風雷ふうらいあるは益なり。君子以て善を見てはうつり、過ちあれば改む。

と雷が組み合わさってこの卦が生まれます。風が強まることで雷の響きは一層増し、雷が鳴るときは風が一層速くなるのです。
風と雷が互いに力を増し合う様子から、この卦は「益」と名付けられました。君子はこの卦の象を模範とし、他人に自分より優れた点があれば即座にそれに従い、自分に過ちがあると認めた場合は、躊躇うことなくそれを改めます。これが自己を高める最大の道であり、同時に他人にも利益をもたらします。
風と雷が互いに益し合うように、他人の善を見たときは風のように素早く受け入れ、自身の過ちを正す際には雷のように果敢に行動するのです。


初九。利用爲大作。元吉。无咎。 象曰。元吉无咎。下不厚事也。

初九は、もっ大作たいさくすに利あり。元吉にして、咎なし。 象に曰く、元吉にして咎なきは、下厚事しもこうじをせざればなり。

『大作』とは大きな仕事を意味し、豊かさと恩恵をもたらすものです。象伝の『厚事』は爻辞における大作の解釈であり、重大な事柄を示しています。初九は卦の最下位に位置し、本来ならば大きな仕事を担う立場にはありません。しかし、今は上を損して下を益する時期であり、初九は上からの恩恵を受ける立場にあるのです。そのため、この恩恵に対して報いる必要があります。
この爻を得た場合、大きな仕事を行うのに適しています。ただし、その前提条件として元吉であることが求められます。つまり、その仕事が完全に善良である場合にのみ、過ちを免れるのです。少しでも不善が含まれていれば、過ちを避けることはできません。なぜなら、下位にいる者は本来、重大な事柄に耐えられる立場ではないからです。


六二。或益之。十朋之龜弗克違。永貞吉。王用享于帝。吉。 象曰。或益之。自外來也。

六二は、あるいはこれをす。十朋じっぽうたがあたわず。永貞えいていなれば吉なり。王もつていきょうす、吉。 象に曰く、或いはこれをす、ほかよりきたるなり。

『或益之。十朋之龜弗克違』の句は、山澤損の六五にも見られます。益は損の反対の卦であるため、損六五の状況が益六二に対応します。すなわち、下を益す卦であり、下にいるため益される立場です。陰爻であるため、柔順で虚心な姿勢を持っています。誰彼に関わらず、自分を益してくれるであろうことは、貴重な亀の甲で占っても誤ることはありません。ただし、柔爻が柔位にあり、あまりに柔弱で正しい道を守り続けることができないのではないかという懸念があります。したがって、占者に対しては「永く貞しければ吉」と戒めの意味で述べられています。
『王用て帝に享す吉』の句は、この爻を用いての意であり、帝とは上帝、すなわち天帝を指し、『享』は祭ることを意味します。朱子はこの句を、古代の王者が実際に天を祭ることを占って吉を得たときの判断辞であろうと解釈しています。従って、王者がこの爻を占えば、天を祭るのに適しているということになります。
象伝の「外より来る」は、損卦の六五の象伝であり、上(=天)から祐けると同様に、益を自分から求めずとも外から自然にやって来ることを意味しています。


六三。益之。用凶事无咎。有孚中行。告公用圭。 象曰。益用凶事。固有之也。

六三は、これにす。凶事きょうじもちうるに咎なし。中行ちゅうこうに孚あり。公に告ぐるにけいもつてす。 象に曰く、えきの凶事に用うるは、もとよりこれ有るなり。

損の六四は、損失を被るときに迅速に行動することを示していますが、この益の六三も同様に、凶事を通じて益を得ることを意味しています。「凶」という字は、地が欠けた部分(凵)に交錯して陥る様子を象徴していると解説され、この爻は互体の坤の中心に位置し、変化すると坎となって凶の象徴となります。本来、三の位置は危険な場所であり、この爻が内卦の震の極にあり、衝動的に行動しやすいことを示しています。その危険性を改善するために、凶事の試練を与えるのです。
六三は下卦の最上位に位置し、上卦に接しています。下卦は動きを象徴しているため、六三は自ら進んで上の六四に益を求めます。自ら益を求めることは君子として恥ずべき行為ですが、凶事においてはそうすることに咎はないとされています。
ただし、咎がないためには二つの条件があります。第一に「中行に孚あり」、つまり中庸の道に適っていること。
次に、「公に告ぐるに圭を用う」、これは公爵である六四に対して圭玉を贈ることで、誠意と信頼を示すことです。六三が隣国の六四に対して自国の凶事を告げて利益を乞う際に、圭玉を引出物として用いることを示しています。これは相手に対する誠信の戒めであり、「中行に孚あり」と本質的に同じ意味を持ちます。
占いでこの爻を得た場合、人から物質的援助を求めることも可能ですが、凶事(葬儀、災害、飢餓など)の場合以外では求めるべきではありません。凶事の際には求めても咎はありませんが、その際も中庸の道を守り、求める相手に対して誠実であることが条件となります。
象伝の意味は、自ら益を求めることも凶事においては当然あり得ることを示しています。


六四。中行。告公從。利用爲依遷國。 象曰。告公從。以益志也。

六四は、中行ちゅうこうあれば、こうに告げて従われん。もつることを為し国をうつすに利あり。 象に曰く、公に告げて従わるるは、えきするの志しを以てなり。

この爻辞は、前の六三の爻辞と意味の上で連続しています。ここで言う「公」とは六四自身を指し、告げに来るのは六三であり、従うのは六四です。六四は否䷋から益䷩に変わる際、自分の陽を損して下卦の初にやった父である。自己を犠牲にしても下を益そうとする志が強い。この公に告げれば必ず同意される(=告公従)。
「告げる」とは、前の六三にあったように、諸侯の国で何かあった場合に王や隣国に報告することを指します。六三では凶事に限りましたが、本来はそれに限らず、新君の即位や結婚などの吉事も報告の対象となり、それに対して他国から祝いが贈られるのです。祝いを受けることも益であります。占ってこの爻を得たならば、気前の良い援助者が現れ、願い通りに利益を与えてくれるでしょう。ただし、「中行」が条件として附せられます。
この爻は残念ながら「中」を外れているため、占う人には中庸の道を歩むよう戒めが与えられます。中庸の道を守るならば、公に告げて従われるでしょう。
『用て依ることを為し国を遷すに利あり』とは、新たに国を遷した場合、近隣の国に依りかからなければ立ちゆかないことを示しています。その依りかかることを「依を為す」といいます。占ってこの爻が出たならば、国を遷すのが良いでしょう。「用て」はこの爻を用いることを意味し、朱子はこの句について、昔の人が実際に国を遷すことを占ったときの良き答えだろうとしています。それにしても、なぜ国を遷すということがこの爻に関係するのか。清の王夫之は、六四はもともと否䷋の初六が遷って来て六四になったのだから、遷国という、と説明しています。


九五。有孚惠心。勿問元吉。有孚惠我徳。 象曰。有孚惠心。勿問之矣。惠我徳。大得志也。

九五は、孚ありて恵心けいしんあれば、問うことなくして元吉げんきつ、孚ありて我に徳を恵まん。 象に曰く、孚ありて恵心あり、これを問うなかれ。我が徳を恵む、大いに志しを得るなり。

この爻辞は、朱子による解釈を一例として述べます。「恵心」とは他者を思いやる心のことです。「徳」は「得」と通じ、利益を意味します。「矣」は断定の意を示します。九五は君主の地位にあり、剛毅で「中正」であります。下位には同じく「中正」の六二が応じています。この立場にある者は、下々を大いに利益することが可能です。支配者に誠意(=孚)があり、下を思いやる心があれば、問いかけるまでもなく大吉であることは明白です。このような状態であれば、下位の者も誠意を持って支配者に利益を与えるでしょう。このようにして、九五は大いに望み通りの結果を得ることができます。占いにおいてこの爻を得た者は、他人に恵みを施すべきです。そうすれば他人もまた自分に恵みを与えてくれ、大吉となります。


上九。莫益之。或撃之。立心勿恒。凶。 象曰。莫益之。偏辭也。或撃之。自外來也。

上九は、これにすことなし。或いはこれをつ。心を立つること恒つねなし。凶。 象に曰く、これを益すことなきは、偏辞へんじなればなり。或いはこれを撃つ、外ほかより来きたるなり。

上九の状態は陽剛にして益を極めることを求めるものです。そのため、鼻っ柱が強く、他人に対して益を求めてやまない者であります。このような人物に対しては誰も益を施そうとは思わず、むしろ憎しみを抱き、攻撃する者さえもいるでしょう。孔子が「利に放って行えば怨み多し」と言ったのも、このことを指しているのです(『論語』里仁第四)。
『立心勿恒』は単なる禁止を意味するのではなく、心を立てること、すなわち志を立てることと同様に、心の基本的な姿勢を示しています。占う者が利益ばかりを追求し、恒常性のない心の持ち方では、当然凶の結果に至ることでしょう。繋辞伝の中で孔子は次のように述べています。
「危険を伴う行動を取れば、民は従わず、恐怖心を持って語れば、民は答えず、交わりなくして求めれば、民は与えず。誰もこれに与しなければ、これを傷つける者が現れる」と。象伝における『偏辞』とは一方的な主張のことであり、『荘子』人間世にある『巧言偏辞』に由来し、裁判において片方の言い分を指す場合にも使われます。象伝の示すところは、上九の自分勝手な言い分により、誰も彼に益を施さないということです。最終的には、思いがけない方向からの打撃が訪れるでしょう。


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