夜の海 父との記憶
マイルドセブン
父の胸ポケットにはいつも
タバコの箱が入っていた。
私が中学生だった頃、
父はしきりにタバコを吸っていて
父と言えばタバコの匂い。
そんな印象だった。
当時は禁煙にトライするもなかなかやめられず
どこかやめる気もなく、
胸ポケットのタバコを口にくわえては
モクモクとさせ
考え事をしてるそんな風にみえた。
当時父は店を経営していて
それは私のちょっとした自慢でもあった。
けれど、
自営業は紙一重だな、と
痛いほどに身に染みていくそんな出来事が
中学生の頃から毎日、毎日巻き起こっていった。
父の店がうまくいかなくなり
我が家の暗黒期が訪れる。
いつもは穏やかで芯の強い母も
夜中に実家に電話をして
静かに涙を流している
そんな姿をドア越しに見た。
こういう状況なんだな、今の我が家は。
子ども心に、静かにその時が過ぎるのを待っていた。
そんなある日の夕刻。
父がいつもより早く帰ってきた。
突然私に言う。
「海を見に行かない?」
「えー、でももう夜だよ」
「夜の海もいいもんだよ」
「確かに、気持ちいいかもね」
そう言って車に乗り込む。
けれどこの時の私はとても怖かった。
もしかしたら、お父さん
車ごと海に入るのかな、と思っていた。
それほどまでに、家は逼迫していて
父も憔悴していたから。
それにしても
今思うと、どうして着いていったのだろう、と。
きっとあまり深く考えず、
そうなったら、そうなったで
もうそれでもいいや、とどこかで思っていたのかもしれない。
結局、フタを開けると
父の言った通りに、夜の海辺を散歩して
帰ってくるだけだった。
家に帰って布団に潜り込み
くまのぬいぐるみを
抱きしめたのをおぼえている。
そんな父との海の思い出。
久しぶりにそのことを思い出した。
あれから40年ほどは経ってるだろう。
もう時効だね、とそう思い
今更ながらに、
その時の真相を父に尋ねてみた。
すると、
「そんなことあったかなぁ、覚えてない」と。
「えええー!?覚えてないの?」
ある意味ショックすぎる答え。
まぁでもそんなものなのか。
あの時代、家族の心はバラバラになって
それでも、どこかへと辿り着こうとみんなが走っていた。
今ここで暖房にあたりながら
みかんをむいている父がいる。
その温度差がとても不思議な気がする。
しかし、呑気そうな父についつい感情が溢れる。
このままでは終われない、
はっきりと言ってもらいたいゾ。
「あの時、夜の海に着いていって
お父さんに付き合おうとしてたのって偉くない!?」
「エライ、エライ、エライよー」
なんか、軽い。
なんか、軽すぎる。
人生の最終ターミナルにいる父。
もうその胸ポケットにはタバコはない。
今思うと、
父のタバコの匂いは決して嫌いではなかった。
年齢を重ね、時間が経ち、
そしてまた家族のかたちは変わっていく。
さみしいような、
とても自然なような。
それにしても、
子どもの心、親知らずだな。
そう思いながら
父のむいたみかんの皮をゴミ箱にぽいっと
投げてみた。
たまには反抗もありだね。
40年前の自分、ガンバった!