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雑文的慟哭

僕らが歩いた日々を、
出発を告げる汽笛が分かつ。
手を振る奴らに「じゃあな」と言って、
涙一つ残さず別れを告げた。
次に会う時、例えば5年後10年後、
曇った車窓の子供の落書きみたいに、
あてもなく、自由に描いて将来を考える。

輪郭らしいものも無く、
現象としての生を肯定もせず、
良くも悪くもない学力診断に生まれてこの方の夢手放して、
ギター一本道端で歌うテロリストが
迷惑防止条例の犠牲になるのをぼんやりと見ていると、
不意に悲しい気持ちになった。
あれは上京したての何も知らない僕のようだった。

若い頃の自分。20歳になる前の自分。
とにかくそういうものを考える。
輪郭を辿ると、なぜか今の僕を描いていた。
あの頃と何も変わらないと嘆くのか、
今ある自分は過去の延長線にいるのか。
帰郷に先立ち、憂鬱を勘定して土産物の値段を間違える。

同窓会の席で見るかつての彼ら。
彼女は地下アイドルにハマって、
今や生きる意味がそれしかないのだと言う。
「あの人はいい人よ」と、学生結婚をした彼女の顔に、
まだ新しい青あざを見て目を逸らす。
輝かしい将来を語る医学生のあいつが、誇らしげに語る武勇伝は
セックスした女の数と飲んだ酒の量で彩られていた。

比べて、並ぶべくもない自分の存在を
トイレの吐瀉物にぶちまけて罵倒する。
消えちまえ。その言葉の切先でまた自分の心を苦しめる。
これで何度目かわからないリストカットの跡が、
彼女と違って目に見えないだけと知る。

オチもなく落ちぶれた存在証明を
古本屋のそれらしい哲学書に求めたら
最初の数ページで全部が嫌になった。
人間賛歌を歌うのは、革命の寵児。
養護施設育ちの自分にはずいぶん遠い世界だと思った。

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