龍之介

東京大学大学院人文社会科学研究科基礎文化研究専攻倫理学専門分野修士1年 片麻痺性偏頭痛持ち/jazzとお酒と芸術一般についての話題をこちらに書き散らす予定。

龍之介

東京大学大学院人文社会科学研究科基礎文化研究専攻倫理学専門分野修士1年 片麻痺性偏頭痛持ち/jazzとお酒と芸術一般についての話題をこちらに書き散らす予定。

マガジン

  • 短編置き場

    僕の書いた短編小説たちが置いてあります。完全に不定期更新です。

  • 【哲学】「境界」についての考察

    このシリーズでは、僕なりの哲学をもって「境界」という事象について深く考えていきたいと思う。何度も繰り返し言うことではあるが、本記事は僕が記事の読者とともに、「境界」ということについて哲学的考察を深めていくことに意義がある。それに、僕はソクラテスにならって「無知」から始めていこうと思っている。つまり、事前に何らかの書籍を熟読しているわけではないということである。未熟な僕の考察に、少しでも良い素材となりえる本や作品を知っている方がいるのであれば、ぜひ教えてほしい。僕のTwitter、この記事のコメント欄を含めて、自由に。

  • 誰でもない「ひと」たちについて

    「ひと」は、私やあなたの会話から漏れ出続ける一方で、全体的言説に取り込まれてしまうような「語りの<他者>」である。不定期に更新。正確性とかはあまり気にしない。

  • 【連載】たまには、くだらないことを話そう

    たまには、くだらないことを話そう。 そういう心意気で書いた適当なエッセイである。将来これが世に出回ることはおそらくない。ならむしろ今のうちに有料にした方がよいのではないか。 そんなわけで、一部の記事は最後が有料である。面白そうだと思ったら払ってくれたまえ。 こんなへたくそな文章で、あなたも何かが書きたいとおもったら、”#くだ話”  ぜひこのタグを、あたなも使ってほしい。

  • 下手糞な文章についてクソ真面目に語ってみる記事

最近の記事

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留学と戦争 あるいは友情について

ドイツ留学noteを書くのはいつぶりだろうか。多忙で、すっかり忘れていたことをまずはお詫びしたい。 旧TwitterことXで知っていることだろうが、僕は現在8月の頭から、ブレーメンに1か月の留学中である。そしてもちろん、この文章を書いている8月23日現在、ロシアとウクライナはなおも戦争を続行中だ。 ブレーメンの旅の模様については、こちらのnoteでは書いていなかった。書く暇がなかったのもあるが、なるべく英語とドイツ語で生活を試みていたために、日本語を使いたくなかったから、と

    • フレームが左にずれた世界で右と言う事――右派思想の限界に関する試論 #1

      はじめに しばらく書いていないサイトを開いて、白紙のブログに書き始めたと思ったら政治的な発言をする。やれ、炎上しそうだな。付き合うのはやめておこう、と、友達が距離を置き始める。あるいはタイトルからみて、彼は危険思想の持ち主だ、と風評がまき散らされる。なるほど、これが今の政治の特徴か。面白い。そんなことを言う羽目になりそうだ薄々感づいている一方で、フレームが左にずれた世界を正すためには、初めに、世界のフレームに合わせて、自分が右であると宣言しなくてはならない。  というのも、「

      • 片麻痺性片頭痛になった #3 そして僕はアルバイトを辞めた

        お久しぶりです。龍之介です。 最近、まったく更新できていませんでした。本当にすみません。まあ、インターネットの隅っこのドブ川から流れ着く排水溝の底の方に沈んだ誰かの思い出の詰まった絵日記みたいなブログなので、読みたいとか、更新を待っているって思っている人がこの世界にいるとは到底思えないのですが、もしかしたら一万人に一人くらいはいるかもしれないので、書こうと思います。ついでに、今の自分の心境とか、これからの目標とか、漠然としたことについても少しだけ、触れてみたいです。 バイト

        • 奇聞百科 #1

           最初の独白は、なるべく鋭利でなくてはならない。供物の子山羊を速やかなる安楽死へと導くような、預言者たちの手に握られた天使のように鋭利な刃物! ――そう思う時代が私にもあった。挫折はすぐにやって来た。自らの無知にぶつかり、辱めを受けた日が来たのだ。大学のゼミで、教授は私を、そのつもりはまったくないのだと散々断りながらも、罵倒した。「うん、そうだ。でも君のその考えは……」なにが、「そう」だって? あなたは私ではないじゃないか。だが、それは正しかった。おそらく教授の目に見えていた

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        記事

          片麻痺性片頭痛になった #2

           どうもここ最近、体調がすぐれない。アルバイトも無理矢理行って、仕事をこなして帰るを繰り返しているのだが、常に頭の奥の方の刺すような激痛を恐れながら耐えている感じさえする。  これを書いている1時間前にもひどい頭痛があった。左側頭部、こめかみのあたりに激しい頭痛だ。拍動性の痛みで、最近の発作の中では一番痛かった。ついでに頬骨や後頭部にかけてビリビリとした神経痛もある。多分三叉神経痛も併発しているのだろう。それだけではなく、左手がなんとなく動かしにくい。今もこの文章を書きなが

          片麻痺性片頭痛になった #2

          平和を抜かれた平和の祭典について

           「神様なんて当の昔に阿佐ヶ谷のボロアパートで首を吊った」――それは一つの悲劇的な事実を意味している。だが、いつだろうか? いつから世界はこれほどまでに悲惨なことになったのだろうか。いや、我々はそれを知っている。我々がその手で殺したのだから。「いつ神は死んだのか」と問い、その時期を推し測る我々こそが、もっとも怠惰で傲慢な不信心な人間に他ならない。 *  見せかけの「寛容」の名の下に、一つの無言の、しかし耐え難い暴力が蠢いている。色鮮やかにライトアップされたパリの市街に立つ

          平和を抜かれた平和の祭典について

          片麻痺性偏頭痛になった #1

          お久しぶり。龍之介です。 誰にも心配されることのない入院生活を終え、つい昨日家に帰宅。「頭いてえなぁ」で大学の保健センター行ってみたら、脳梗塞の疑いあるからすぐに緊急で行けや、ということになり、ものの数時間の間にCT、MRIその他の検査を受けた。そのまま丸3日ほどを病院で過ごすことになった。殆ど寝たきりで風呂も行けず、課題やら何やらもまともに手が付けられなかった。 元々自分は偏頭痛持ちで、薬も飲んではいるのだが、今回は何より、自分の右手が動かしにくくなるという致命的な症状が

          片麻痺性偏頭痛になった #1

          渋谷のバーにて

           昨日、後輩たちと飲んだ後に、一人で道玄坂の洒落たバーに行った。いつも僕が言っているジャズバーではない。白黒の無声映画を流している、「Baron」という名のバーだ。映画館の建物のすぐ近くのビルの地下にあるその店の雰囲気が好きで、時折僕は足を運ぶ。それほど頻繁に、というわけでもないのだが。  オードリーヘップバーンの美しいポスターがカウンター横に張られている。酒瓶の並んだ棚の中央から、大きな桜の造花がこちらにせり出していて、さながら前衛的だなとさえ思う。しかしマスターは常識人だ

          渋谷のバーにて

          【詩】虻の祈り

          (1) 「もう何もうむな」と言われたから おれは 闘うのをやめた 闘いとは うむこと まもること 何もうまないなら まもるものもない そうして何もうまずにいたら 虚しさが よみがえった それはあっというまに 地球のすべての場所を 覆い隠して 夜にした けれどもニュクスは なにもうまない 死も 運命も 眠りも 夢も 繋がれ 喰らわれる創造の神も すべて まどろみの内に微笑む どうしたことか? 詩人よ おれはひとり この部屋の闇に溶けて ただ 虚しさを相手に ただ 空をまな

          【詩】虻の祈り

          言葉について

           作家志望の僕にとって、言葉は自分の住む家みたいなものだ。実際、この感覚は、僕が哲学を志し、哲学者ハイデガーの「言葉は存在の家である」という言葉に出会うよりもはるか以前から、漠然と心の中に持っている感覚である。  言葉の中に人は住む。美し夕焼けを見た瞬間、そこに感じて、そこに見ることがあの純粋な感覚について、いろいろと言葉をひねって表現する方法を考える時の、心の中の内声みたいなものの感覚が無ければ、その人は死んでいるも同然だ。美しさは、美しいという言葉の中にではなくて、美しい

          言葉について

          【詩】冬

           畳を静かに揺らすような  低く、うなるような除夜の音  雪たちが、ひそひそと  主のいないキャンパスを飛び回る  正月ーあるいは、質素な部室   渦巻く嫌悪感の方向ベクトル見失って   とりあえず自分を刺す 冬

          【短篇】大人になると言うのは、いつでも死ねるようになるってことだ。

           生まれてから、インターネットが当たり前にある時代の僕にとって、世の中にあふれる膨大な数の言葉たちは、まるであらゆるものを破壊しつくした聖書の大洪水のようだった。僕にとって箱舟は、あふれかえった言葉の海を渡ろうとする、必死の抵抗だった。既存の表現、美しい言葉なんていう幻想に縋りつく、愚かな自称文学者の努力、というような意味ではない。むしろどちらかと言えば、もっと個人的な叫びである。僕が僕であるために必要な言葉が、たくさんの言葉の中にもまれ、希釈されて消えて行ってしまって、何も

          【短篇】大人になると言うのは、いつでも死ねるようになるってことだ。

          【短篇小説】死に場所を探していた。

           死に場所を探していた。できれば君の隣がよかった。  そう考えたのは、これが初めてのことではない。ずっと前にも、同じことを考えた。君と出会う前に、半年ばかり付き合っていたある女の子のことだ。その時も、今も、僕は隣で死にたいと思っていた。暖かい日差しの差し込む縁側で、君のそばでこくり、こくりと居眠りをしたいと思っていた。そう思うことは、悪いことではないはずだった。  病院のベッドの上で目を覚ました時、第一声に君の声が聞こえなかったことで、僕は心中の失敗したことを知った。若い

          【短篇小説】死に場所を探していた。

          【詩】寸劇

          呼吸すら許さぬほどの静寂の内で  ―宇宙が目覚める。  泣きたい時に限って泣けなくて 死にたい時に限って死ねなくて  生きているから苦しくて  けれども、時々楽しいことがあるから、   のうのうと生き延びているあたしを 無残に喰い尽くした一匹の獣が   車裂きの刑に処されて 息絶えた  内側から壊れていくものは   何も、花瓶だけではない * あたしは、真っ黒な夜だ。  真っ黒で、何も見えない、  目玉を失った烏みたいに真っ黒な夜だ 確信なき悪意に切り裂かれた羽を

          【詩】寸劇

          【詩】吐きそうだ

          吐きそうだ 吐きそうだ 全部吐き出してしまいそうだ 朝起きて 君のいない隣を見つめて 残酷に照り付ける太陽に気が付いて 何にも悪くない鳥の鳴き声が バタン と 車に轢かれて途絶えて          -私の一部がそこから漏れ出した 口を押えていたら 腸(はらわた)の方から出ていくなんて ナンセンス! そう笑う道化は斜陽に照らされて ああ 吐きそうだ 彼岸に咲く一輪の華

          【詩】吐きそうだ

          【詩】夕焼けに染まったので

          夕焼けに染まったので ぼくの身体は赤く燃える てのひらから 足の指先まで じんわり じんわりと 燃えていく 身体の輪郭が身体から解き放たれて ぼくの内側にまで入りこんでくるそれは 心臓すらも高鳴らせる どくん どくん それは水平線に沈む  ぼやけた熱気に包まれて 白雲の内にまどろみながら

          【詩】夕焼けに染まったので