垂れこうべ
西の人は其のように哲学やら理論やらと云うた後世の人が都合よく解釈できる、本来の思考から脱したあまりにも見え透いた方法を生み出した。最初は皆其れを聞いては戸惑いはしたが称賛をした。
此のような思考法はない、世の理に我々は近づいたのだと。文明は其れ等を車輪の一つにしては浅ましい未来を進むことを忘れないように翔ぶのであつた。過去の髑髏を轢くたびに感情と云うものが透明になっていつた。
其れでもよかった。其れしか、なかった。神と云う都合のよろしい定規を用ゐて、民を説得したのだった。
「西に沈むものは東でも同じように沈むのが世の常。」と西の人は言うた。時間と謂う数字の誘いは海を越えるのと同時に西の知恵は、東にも到達した。東の人は地の誇りも、連続性の営みも、月光の美しさも忘れては西に憧れを抱いていた。追いつくこと、いや慣れ親しむ同調主義こそが正義で在つた。西の知恵との戯れあいはただの形式にしか過ぎず、其れ等を地のためにはつかわなかった。皆、孤独に絶えられなかった。
東の賢者は言うた。
「古典に私たちの渡す声が記して在る。君はもう知っているのだろう。」
東にも西にも通ずる男は言うた。
「始めから答えは存在しない。時がまた流れるように風が亦吹く。」
垂れ頭(こうべ)は眠く、凋む白い椿だつた。
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