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コミュニケーションのド下手さの奥にある諦め。

アロハ🤙

奄美に行ってきました。

そこで出会ったサーファーに声をかけてみると
ぶっきらぼうな返事。


私はそこで、凹み。
相手を心の中で罵倒した。



それから2日経って
新たな思いが浮かんでいる。


(ひょっとして、相手の方は
私を恐れていたのでは?)


そして

(さて、私は一体どういう
問いかけをしたんだろう?)


色々考えて出した相手への問いは

私が本当に聞きたかった問いだったんだろうか?


取り繕って

周りを固めて

不信感を持って

どうせという気持ちでいなかっただろうか?


沢山のあきらめをして生きている

日々小さなあきらめを


もう不感傷になってるくらい

だからあの時

奄美に来て一泊しただけのあの日

みんなの前で涙が出たんではなかろうか?



人生は自分でつくっている。



そして私はコミュニケーションが
ド下手だなとも感じた。


「私はこうしたい」


こんな問いかけをすること自体が
色んなフィルターを勝手にかけてしまって
出てこない。


小さな子たちのがよほど上手である。


相手と対話すること。


臆してる場合ではない。


そして対話の中で学ぼう。


今回の奄美で学んだ一つです。


有難う御座います。


よき日を。

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