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私は毒親でした。フラストレーションの中にヒントがある。(前提とは)

アロハ🤙
ガンガンに暑いです。

次男がおしゃれに目覚めております。
ピアスをしたり洋服を沢山買ったり。
カラコンを薬局で買ってきたり。

その次男を見た時
イラついている自分を発見しました。
それはものすごく微細なフラストレーション

これは一つの象徴ですが、最近事あるごとに
フラストレーションを抱えていました。

それを見た妻から
「毒親の正体」
こんな本をすすめられました。

私は早速読んでみると
私の中にある親というものの見方を
問い直すきっかけになりました。

毒親

言葉にするとものすごく強烈です。

うちの親はそんなことはないだろう。
こんな立派に育ててくれて、、、

一見すると親を庇ってしまう自分がいます。

自分の育ってきた過去を否定するごとく。

しかし苛立ちや怒り。

こう言ったものの根本を探る
というのは
ものすごく有効だと思います。


そのフラストレーションや怒りは
なぜ起きたのか?

そしてその怒りの元を辿っていくと

○○でなければいけない
という私の中にある
前提というものが見えて来ました



私は私が感じている前提を
ノートに書きました。

人の笑いものになってはいけない
一生懸命働かなければいけない
バカにするならいいけどされてはいけない
女は男を立てなければいけない
私は非力なので頼り甲斐ある奥さんが
 いなければいけない
私は無力なので親が守らなければいけない
遊び呆けていてはいけない
犬は外で飼わなければいけない
世間に笑われてはいけない
普通が一番いい普通の人でありなさい

どんどん出てきます

そしてその前提のもとは
どこから来たのか考えると
親の顔が浮かんで来ることが多いです

ほとんどそうじゃないかな

若い頃、親のことが嫌いで反発して来たのですが
逆のことをやっているのとは裏腹に
無意識的には親に言われていたことを
私の中で前提として受け入れて
生きていることに改めて気づいたのです

親はどうなのだろう?

その親から前提を教えられたのか、、、

そして、その親もまた、、、、

前提とは
生き残るために
家族代々大切にして来たもの


周りに合わせなきゃ生きていけない
周りからハバにされたら生きていけない


みたいな

そしてそれは大切にしてきたが
過剰に大きくなって
それは今生きることには
必要無くなって
若しくははなから幻想であったかもであって


もういらないこともあるのかもしれない

言い換えれば不要な恐れかもしれない


その前提は手放しても良いのでは?

それを選択するのは
自分自身なのでは?

選択できること

そんな主導権をもってるということを感じ
むくむくと力が湧いてくるのを
感じました。

そしてその前提を
私も子供達に無意識に
与えていたということです。

前提を書き出してみて良かったです。

前提が自分にあると気づいたこと

その当たり前は他の皆んなにとっては
 当たり前でなく自分だけが
 持っているということ

前提は主に親から与えられたということ

そしてその親もまた親から
 与えられたということ

それは先祖代々大切にして来たということ

そしてその前提を自分も無意識に
 子供に与えていたということ

そしてそれを次の世代に受け継いでいくのか
 ここで終わらせるのか決められるということ

自分に主導権があるということ


もちろん、良い(自分にとって)前提もあり
大切にしたいものもあれば
これはいらないかなっていうものもあると
思います

そんな自分を振り返るきっかけになりました。
当たり前であるがゆえに気づきにくいところ

自分にとっての前提。

今後も見つめていきます。

今日もお読み頂き有難う。

よき日をお過ごしください。

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