忘れたことすら忘れている。間にある、『優しい瞳』
たまにすごく綺麗な目をした人を見かける。透き通るような優しさと、そこに希望があることが当たり前だとでもいうような居心地の良い眼差しを持つ人。
見かける、というのは僕がその人と接点がなく、すれ違った時にたまたま相手がそういう目をしていただけか、もしかしたら僕の思い込みというか、そういう物語があると信じたいだけかもしれない。
あの目はどうして綺麗なのだろう。
すごく印象的な記憶がある。ちょうど今くらいの夏の終わりの時期だったか、まとわりつく湿気をすこしだけ残した空気と、長袖を着る人がちらほら見え始める中で、僕は昼のバイトを終え、秋葉原駅のホームで電車を待っていた。
ほどなくして乗客をパンパンに乗せた黄色いラインの入った電車が耳障りなアナウンスと金属のこすれる音と共にホームの中へ収まる。
「ピンポーン」という音とともに、死んだ目をしたサラリーマンが、まるでパチンコの出玉みたいに押し出されてくる。
その波のすこし後から、肌と髪の色素が薄く、青みがかった瞳と、全身黒い服を着た細長いスタイルの外国人男性が悠然と降りてくる。
Tシャツには何かのアニメキャラがプリントされている。
彼の目に釘付けになった。綺麗だった。青みがかっているからというだけでなく、そこからは希望が感じ取れた。
場所が秋葉原だったから余計にそう感じたのかもしれない。
そこで僕は何かで叩かれて目を覚ましたみたいな感覚に陥った。何か大事なことを忘れていた気がする。忘れていたことすら、忘れていた気がする。
そして、また忘れていく。
これは昨日の話なんだけど、似たような目をした外国人を接客する機会があった。
僕は英語が全く喋れないので、できる限り意思を汲み取りジェスチャーとアイコンタクトでできる限りのサービスをする。拙いコミュニケーションでも、その外国人はその状況を丸ごと楽しむ術を持っているように見えた。素敵な笑顔と綺麗な目をした夫婦だった。
そしてまた思い出す。忘れていることすら忘れていたことを。頭では思い出せても、体が追いついていないことを。
僕の目はきっと、あの目から遠のいている。
今日は図書館に来ている。最近小難しい本ばかり読んでいた気がするので、小学生の図鑑のコーナーに足を踏み入れてみた。
デカデカとしたイラストや写真と、ひらがなだらけのやさしい言葉が、何かを思い出させてくれそうな気がする。
星と神話、いのちについての本を借りる。
子供のころの図鑑を広げて夢中になっていた気持ちと、大人になって見たくないものも見えてきた今の気持ちの中間に、あの『優しい瞳』は生まれるんじゃないかなって、漠然とだが、そんな気がしている。
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