武蔵美通信 絵画表現Ⅴ(通信課題)作品を誰かに見せるということ
こんにちは。
数日前から絵画表現Ⅴの通信課題を始めています。そして昨日からキャンバスに描き始めました。久しぶりなので楽しいです。外が寒くなってきましたね。猫が電気ストーブを要求してきました。
ムサビ通信を始めて再び絵を描き始めてから、なんで絵を描くのが好きなのかなーということを改めて考えることになりました。きっかけはスクーリングで言われたことです。私が言われたこと、誰かが言われていたこと、混ざっているのですが「誰かに上手いね、って褒められるために描くわけじゃないよね?」「上手いね、と言われて嬉しい?」という問いかけです。そりゃね、上手いって褒められたら嬉しいじゃないですか。それは否定できないんですけど。
思い出すのは高校時代、予備校時代です。あの場所は上手い絵が描けることが全てで、講評で良いコメントを貰える同級生の絵が羨ましくて憧れました。具体的なことは全然思い出せないのですが、あの時の最終目的は大学受験合格でありながら先生に褒められることが大事だった時期でした。あまり思い出せないから多分(笑)
その価値観をある程度引きずって今も絵を描くんですよ。下手より上手い方がいいじゃないかと思って。でも違います。今は違うと思っています。そもそも絵は上手い下手の問題じゃないんだということです。価値観はそれぞれだとは思いますが、私は褒められることを目的に絵を描きたいとは思わなくなりました。じゃあなんのため?という答えは出ないんですけれども。
他人に「絵を描いてる」って話をすると「見たい」って言われること多いですよね。でも大抵はそんなに興味があるわけじゃなくて、話のネタとしてだったり流れで「見たい」と言ってるだけなんだろうなと思います。もちろん中には興味を持ってくれる人もいますよ。そんな人と美術の話ができたりすると嬉しくなります。そこから自分の絵を見せるってことは何だろう?ということを考え始めることになります。
最初に言っておきたいのですが、SNSやブログで自分の作品を公開している美大生に対してはリスペクトしかありません。見せてくれてありがとうございます。他人の作品を見るのは本当に楽しいです。気軽に作品が見れる環境にも感謝です。
私は学校の課題で描いたもの、課題関係なく描いたもの、他人に見せれるだろうというクオリティの自分の作品を選んで、ポートフォリオを作りました。友人知人で本当に見たいという人にはこれを見せることにしています。気軽にスマホとかで見せるのをやめました。あまり興味がない人に気を使って「見たい」と言わせるのも申し訳ないし、それに対してスマホを出して「これなんです」って見せても別に良いことも無いし、それこそ気を使って「上手ですね」と言われるだけなんですよ。そういうのが見えてしまったので、「見たい」と言われたら「写真に撮ってないんで、見せれる機会があったら」とやんわり断ることにしています。それでも見たいようなことを言われた場合はポートフォリオを見せることにしています。なんだか文字にすると偉そうですが、大したことない私の作品であっても私は大事にしようと思っています。興味のない人には見せないし、SNSにも載せない。SNSに載せないっていうのは、載せるという行為が私にとって「褒められたいからじゃないの?承認欲求じゃないの?」っていう疑問が出てくるからです。今はようやく過去の「褒められたいから絵を描く」ということから脱出して「好きだから描く」ってなっている気がしているので、SNSに載せてしまうと過去の価値観を引きずる気がするのです。そもそもですよ。私ごときの作品を他人に見せるのも恥ずかしいっていうのもあります。
絵画表現Ⅴの課題です。描き始めは載せてみようかな。どうせ書き始めから仕上がりまで全く違うものになるんです。まだ形もない。形がないところから始まって、形が出てきてまた消えて、また形が出てきて・・・という繰り返しなので、最終的にどんな作品になるのか私も見えないまま描いていきます。最初から完成が見えていて、それを目指しながら描くスタイルもあると思うのですが、私は行き当たりばったりスタイルです。なので、抽象か具象かすら見えない状態で進んでいきます。
それでは、残り5か月くらいですかね。頑張りましょう!
楓