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お手軽簡単!「正義の声」を呟くお仕事

ある日、学校の給食調理員が、余った食材を使って賄いを作り、遅くまで働く教職員に提供した。それが「ルール違反」とされ、懲戒処分を受けた。すると、世間から「善意でやったことなのに可哀想」「こんなに厳しくする必要があるのか」と同情の声が上がった。

では、もう一つの事例を考えてみよう。

塾の男性講師が、自習で遅くなった高校2年生の女子生徒を、親切心から自宅まで車で送った。彼女は勉強に悩んでおり、車内で相談にも乗った。しかし、これを見た他の保護者が「ありえない」「不適切だ」と糾弾し、大きな問題になった。

ここで問いたい。給食調理員の行為が「善意だから許される」のであれば、塾講師の行為も「善意だから許される」べきではないのか?

しかし、世間は「それとこれとは別」と言う。なぜなら、「教師や講師は生徒とプライベートな空間を持ってはいけない」というルールがあるからだ。

そして、そもそもそのルールを作ったのも、過去に「教師と生徒の間で問題が起きた事例を受けて厳しくすべきだ」と言った世間の声だった。


世間の声が生み出す矛盾

給食調理員の件にしても、過去に「給食費は税金なのに私物化するのは許せない」といった厳しい意見があったからこそ、今のルールができたのではないか。なのに今度は「善意なのに可哀想」と言う。

結局、世間の声が「厳しくしろ!」と言ってルールを作り、同じ世間が「厳しすぎる!」と批判しているのだ。

この矛盾こそが、社会を停滞させ、ルールのあり方を混乱させている。


ルールの目的を見失うな

ルールの本来の目的は「悪意のある行為を防ぐこと」だ。善意の行為まで一律に処罰するためではない。

本当に問題を解決したいのであれば、世間は「感情論」ではなく、「どうすればより良いルールが作れるか」を考えるべきだ。

例えば、給食の余った食材を廃棄する代わりに、動物園に寄付する仕組みを作れば、誰も損をせず、フードロス削減にも貢献できる。

例えば、塾講師が送迎をする場合、事前に保護者の同意を取り、送迎記録を残すルールを作れば、不適切な関係を防ぎながら、生徒の安全も確保できる。

つまり、感情に流されるのではなく、「どうすれば悪意のある行為は防ぎつつ、善意の行為が報われるルールを作れるか」を考えることが、社会にとって本当に重要なのだ。


文句を言うだけの「インスタントな正義感」から脱却せよ

世間は、ルールが厳しすぎると文句を言い、ルールが緩くなるとまた文句を言う。その場その場の感情で正義感を振りかざし、「私は良いことを言った」と自己満足に浸る。

だが、文句を言うだけでは何も変わらない。もし本当に「厳しすぎるルールを変えたい」と思うなら、具体的な改善策を考え、提案すべきだ。

  • 他者にもっと寛容になれば、無駄なルールは減る。

  • 善意の行為を活かすルールを考えれば、社会はより良くなる。

  • 感情に流されず、建設的な議論をしよう。

それができない限り、これからも世間は矛盾を繰り返し、ポンジュースの蛇口が撤去されるような悲しい未来が続いていくのだ。


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