好きと言って
4年半付き合った彼女と別れることになった。お互い仕事が忙しくなって学生時代のように会えなくなって、こんな状態なら付き合うという関係を解消した方がいいよねそうだねと、お互いに納得した上での別れだった。
やっぱり環境が変わる中で関係を継続していくのは難しいものなのだなと、どこか他人事のように考えながら、僕はとぼとぼと帰り道を歩いていた。それでも彼女と過ごした4年半は楽しかった。彼女との思い出が走馬灯のようにぐるぐると巡る。いろんな所に一緒に出かけたし、たくさん美味しいものも食べた。いっぱい笑って、いっぱい抱き合って、時々喧嘩したりもして、たくさん「好き」を伝え合った……ってあれ?俺は立ち止まった。俺、彼女から「好き」って言われたことあったっけ?思い出の走馬灯を倍速再生にして必死に4年半を遡って検索する。しかしどう考えても、彼女から「好き」と言われた記憶に思い当たらなかった。
いやいやいくら何でもそんなはずはないだろ。きちんと潜水装備を整えて、もう一度記憶の海にダイブする。俺の「好き」に対して「私も」と返してくれたことはある。それは間違いない。「嬉しい」とか「ありがとう」とか、「好き」に対しての好意的な同意的なカウンターは何度ももらったことがある(ありがたいことだ)。だけどいくら考えても間違いなく「好き」は返されてなかった。「私、油そばの方が好きなんだよね」「コリラックマ好き〜」「夏より冬の方が好き」「マッツ・ミケルセンいいよね。めっちゃ好き」「……そこはもう少し強くされる方が好き」彼女は様々な局面で様々な「好き」を俺に伝えてくれていた。しかし俺に対しての「好き」だけがどうしても見つけられない。オイオイオイこれはもう確信犯だろ。わざと意図的に敢えて「好き」って言わないようにしてるだろ。何でだよ。彼女は「好き」と伝えた相手と必ず結婚しなければならない特殊な風習のある村の出身だったのだろうか?いや違う。彼女は埼玉県越谷市出身で、越谷市にはそんなクレイジーな風習はないはずだ。だったら何故だ?どうして俺に「好き」と言ってくれなかったんだ?悪い魔女から、「好き」って言ったら死ぬ呪いを掛けられていたのか?いやそれならマッツ・ミケルセンのことを「好き」だと言った時点で彼女は爆散していたはずだ。どうして好きだと言ってくれなかったんだ。俺はマッツ・ミケルセン以下だったのか?いや俺がマッツ・ミケルセン以上かと言われると俺も違うとは思うけどさ、曲がりなりにも4年半も付き合ってた恋人に対して1度も「好き」って言わないのはおかしいだろ。俺はコリラックマ以下だったのか?冬以下だったのか?油そば以下だったのか?ご通行中の皆さん、彼女と別れたてホヤホヤの、油そば以下の男が通りますよー!俺は大きな声でそう叫んだ(比喩的な表現です)(実際に叫んだわけではありません)。
そんなことを考えていたら油そばが食べたくなったので、俺は帰り道に油そば屋に寄った。ここは彼女と何度も通ったお店だ。やけくそになってダブル盛りをズルズルすすっていると、スマホがブブっと鳴った。それは彼女からのLINEだった。「今までありがとうね。大好きだったよ」それは彼女からの、おそらく最初で最後の「好き」だった。なんでこのタイミングなんじゃ…。俺の心の中の千鳥ノブが眉を八の字にしてぼやきツッコミを入れる。それでも「好き」と言ってくれたことを嬉しく思っている自分に腹が立った。入り乱れた感情に何だか頭がフワフワしながら、俺は油そばに辛いやつをしこたま入れた。