
耳を塞いで
イヤホンやヘッドホンで耳を塞いで音楽を聴きながら外を歩くのが苦手だ。みんなやっているしと何度かやったことはあるが、聴覚情報を遮断した状態で外にいると不安になってしまう。
車道から車が突っ込んで来たら?乗っている電車の異音に気づけなかったら?背後にヤバいやつがいて襲われたら?全て万が一もないようなことだが、出来る限りそのリスクを軽減したい。遮音性の高そうなヘッドホンを着けて自転車を飛ばしている人なんかを見ると信じられない気持ちになる。
これはおそらくじいちゃんの影響もある。じいちゃんは目が見えなかった。視覚が機能しないことで、自ずと聴覚が発達することになる。階段を降りてくる足音でそれが僕であることが分かられていた。その足音の質感で、僕がどこかに出掛けるのかただ飲み物を取りに降りてきただけなのかも聞き分けて、「お、どっか遊びに行くんか?」と声を掛けられたりもした。手ぶらなのか、カバンを掛けているのか、足取りの重さ軽さ、カバンにゲームボーイを入れて出掛けようとしたら、「ゲームばっかりせんと外で遊ばないかんぞ」と言われたこともある。風呂上がりにそのまま裸でウロウロしていたら、「パンツぐらい履け」とたしなめられたこともある。何かがプラプラと揺れているのを音だけで察したのだろう。音にはこんなにも情報量がある。だから疎かにしてはならない。そのことを僕はじいちゃんに学ばせてもらった。
じいちゃんは一度、深夜に家に入ってきた泥棒を捕まえたことがある。窓をそっと開け、足音を殺して入ってきた侵入者の物音に目を覚ましたじいちゃんは、「誰や」と呼び掛けた。持っていたバールのようなもので殴りかかってきた泥棒の攻撃を気配だけで躱すと、じいちゃんは枕元に置いてあった道具袋を引っ掴んだ。じいちゃんはマッサージ師、いわゆる按摩さんだった。道具袋から治療のための鍼を取り出すと、泥棒の肩口にポンとひとつ鍼を打った。泥棒は全身が固まって動けなくなり、駆けつけた家族の通報によって警察に捕まって行った。「人間にはな、鍼を打たれると動けなくなるツボが五つあってな、じいちゃんはそのうち一つだけ知ってるんや」そう言ってじいちゃんは秘伝のツボを僕にも教えてくれた。古い按摩さんたちに受け継がれてきたその秘法は、今ではほとんど失われてしまっているそうだ。
いいなと思ったら応援しよう!
