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僕のフィルム

ハタチぐらいの頃、僕は映画にハマり倒した挙句に自分でも映画を作りたくなって、イメージフォーラム付属映像研究所というところに通って映像の勉強をし始めた。映像を学べるところは他にもたくさんあったが、イメージフォーラムを選んだのは単純に授業料が安かったからだ。毎週1回、土曜の夜のクラスで年間17万円(だったと思う)、大学を中退してフリーターになっていた身としては破格の安さだった。

入学して最初の授業で、まずは簡単なカメラの仕組みと使い方を教わった。当時にしても珍しく、イメージフォーラムでは作品作りに8ミリフィルムカメラを使っていた。もう20年以上前になるわけだが、 それにしても既にビデオが主流になっていた時代だ。8ミリなんかを使っていたのはほぼここだけだったと思う。8ミリカメラだってとっくの昔に製造中止になっていて、自分で買おうと思ったら中古で探すしかなかった。一眼レフカメラのように露出やらシャッタースピードやらを細かく設定して、こうやって撮るんだよということだけ教えられて、早速課題が出た。カメラや機材は学校から貸し出します。フィルム1本分、3分間無編集の映画をひとつ撮って来なさい、という課題だった。

僕が撮ったのは、粘土アニメと実写を組み合わせた作品だった。ゆっくり明転すると、画面の真ん中に粘土の人形が寝ている。目を覚まし、上体を起こす。はて、何か夢を見たような気がするぞ…と小首を傾げ、自分の手を見て、そしてまた寝る。暗転してカットが変わると今度は人間の男が寝ている(僕である)。粘土の人形と同じように目を覚まし上体を起こして夢を見た気がするぞと小首を傾げて手を見て、枕元の水をひと口飲んでまた寝る。またカットが変わる。最後のカットで眠っているのは美しい少女だ(大学の後輩である)。目を覚まし、上体を起こし、何か夢を見たような気がする……とぼんやり虚空を見つめる少女の顔のアップで映画は終わりだ。一体どこまでが誰の夢で、どこまでが現実なのか。僕はこの映画に『ゆめまぼろしまたはゆめうつつ』とタイトルを付けた。夢幻、夢現、どちらも『むげん』、つまりは無限である。今思えば青臭くありきたりな作品だが、僕なりに一生懸命に考えて作った。僕が初めて撮った映画だった。

撮り終えたフィルムは現像に出さねばならない。8ミリフィルムを現像に出すなんてことをしたのも初めてだった。課題提出のギリギリ2日前くらいに現像が仕上がって、出来上がったフィルムを持って帰る。当然映写機なんか持っていなかったので、リールに巻かれたフィルムをつまんで引っ張りだして部屋の蛍光灯にかざして見た。細さたった8ミリの小さな小さなフィルムの中に、確かに自分の撮った映像が一コマ一コマ刻まれていた。これが自分の撮ったフィルムか!あの時の何とも言えない興奮と感動は、今でもはっきりと覚えている。

みんなの撮ってきた映画は授業でみんなで観て、講師陣による講評にかけられた。僕の作品は、「水を飲むところが面白かったね」などと変な褒め方をされ、当時トガっていたハタチの俺は腑に落ちず、もっと粘土アニメの動きのクオリティとかに言及してくれよと思ってムッとした記憶がある。せっかく頑張って褒めるところを探してくれただろうに酷い話だ。

1年かけて卒業はしたものの、結局映画を作るのとは全く関係ないことをしている。8ミリフィルムを切ったり貼ったりする編集は出来ても、スマホでの簡単な動画編集さえ出来ない有り様だ。それでもあの日自分のフィルムを初めて見た時の感動は今でも創作の糧になっていると思っている。当時撮ったフィルムたちは捨てるわけにもいかず、今でも押し入れの奥に眠っている。僕にとっては文字通り、青春の一コマというやつなのかもしれない。

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