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島の喫茶店

僕は瀬戸内海の小さな島の出身だ。人口は300人そこそこ。小学校もないような小さな島で、イワシ漁業と煮干しの製造加工で成り立っている島だった。そんな島の港の片隅に、小さな喫茶店があった。

僕が物心ついた頃からずっとある、東京で外資系のサラリーマンをやっていたらしい夫婦が脱サラをして始めたという喫茶店だった。メニューは何種類かの珈琲と、紅茶と軽食。グラタン、ナポリタン、サンドイッチ……僕がカタカナの名前が付いた食べ物を初めて食べたのは大抵その店だった。とは言え小さな島の小さな喫茶店だ。お客さんなんかは日に数人来ればいい方。石倉さんの家のおばあちゃんがいつも端っこの席に座って暇を潰していたのを覚えている。

大学進学で上京してそのまま東京で就職してからなかなか島にも帰れなくなって、僕自身もう何十年もあの喫茶店には行っていなかった。小さな喫茶店のことなんかすっかり忘れていたが、久しぶりに妻と近所の喫茶店に出かけてモーニングを食べている時にふと思い出して島の喫茶店の思い出話をした。ひとしきり僕の話を聞いた妻が何気なく、「そんな小さな島のお客さんも来ないお店でどうやってやり繰りしていたの?」と聞いてきた。そんなこと考えたこともなかったが、そう言われるとどうやって経営していたのだろう?日に数人の客、売り上げは良くて数千円だったはずだ。仕入れにだって金はかかる。それで夫婦の食い扶持を稼げるはずがない。こうだったんじゃないかああだったんじゃないかと妻と議論をしたが、全く想像が出来なかった。しかしふと思い立ってネットでお店の名前を検索してみるとようやく答えが出た。

あのお店はコーヒー豆の輸入と個人向けの通販を行っていて、それが主な収入だったのだ。お店のホームページは少し古びたデザインではあったがきちんと見やすく整理されていて、何百種類もの豆の特徴が分かりやすく書かれていた。『コーヒー豆 通販』で検索しても上位に表示されるような、コーヒー豆の通販の草分けのようなお店だったのだ。あんな小さな店の割にはやたらとコーヒーの種類が多かったのはそういうことだったようた。「これは下手したら年商数千万はいってるよ。あなたよりよっぽど稼いでるかもね」一緒にホームページを見ていた妻が言った。あんな小さな島の小さな店に、まさかこんな秘密があったなんて。僕は驚くと同時になんだか誇らしい気持ちになった。ホームページに載っていた写真はすっかりおじいちゃんおばあちゃんだったけれど、ご主人も奥さんも2人ともご健在のようで、今は息子さんもご夫婦でお店を手伝っているらしかった。

僕がプロデューサーを務める番組の人気企画、『あの店どうやって成り立ってるの?』が生まれたのは、あの時島の喫茶店について調べたことがきっかけだった。さびれた商店街のブティック、街の布団屋、小学校の前の文房具屋、色々なお店を取材させてもらった。どうやって経営が成り立っているのか分からないような小さなお店には、大抵驚くべき裏の顔があった。満を持して3回目の放送の時に取材させてもらった島の喫茶店の回は、中でも人気の回になった。お店の皆さんとはあれ以来懇意にさせてもらって、島に帰るたびに喫茶店にも顔を出している。コーヒーはもちろんだが、あの頃と何も変わっていないグラタンは妻も気に入ったようだ。

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