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「~べき」の感覚が薄れていく方法

インドの聖なる山の樹の下で瞑想をしていると
足の方からゾロゾロと
アリだろうか?
虫が這いあがってくる。


スピリチュアル的には
虫ってカルマの解消と密接にかかわることだから
「キターッ!」って感じだけど。

この虫たちとどんだけの時間向き合わなければならないのだろう。

なんて思いに駆られたりしたもの。

30分ぐらいは瞑想しようと決めてたから
動かずにそのままにしてたら
いつの間にかいなくなっていた
なんてことがありました。

本格的な瞑想をするときは
たとえば30分という時間を決めたら
足が痛くなろうが
鼻水が垂れようが
身体を動かさずに
瞑想を続ける。

そういったちょっと「Mっ気」が漂う。

瞑想していて
たとえば鼻がかゆくなったとする。

その状態をしばらく放置していると
徐々に痒みも引いてくる。

痛みとかしびれもそういう感じだ。

このようにして
不快状況は、一時の状態(一過性のもの)であって
そのままにしておくと
やがて変化していくということを体験するというのは
瞑想修行で得られるひとつの効能だ。

そうやって
委ねること
を実践して身に着け本物にしてくという側面がある。

こういうことを繰り返していると
「委ね」=「そのままにまかせる」
「今起こっていることは一過性のものだから」
といった「観る」感覚が浸透してきて
やがて「べき」というものも
消えていくのでしょう。

「べき」の感覚が薄れていく方法っていろいろあるものだ。

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