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もっとおもしろくなる西洋美術史PART-9《国際ゴシック美術》 1300年~1400年

美術の歴史を知って、美術鑑賞をもっとおもしろく見てみましょうと始めたこの企画。これまでタイトルに「見るのが100倍オモロくなる西洋美術史」と名づけていましたが、100倍はさすがに言いすぎかと思い「もっとおもしろくなる西洋美術史」にタイトルをあらためました。

これまでPART-1~PART-8まで年代順にポイントを解説してきましたので、順番に読んでいただくと、より西洋美術のながれが分かるかな、と思います。

さて今回は第9弾、国際ゴシック美術(1300年後半~1400年代初め)についてです。日本でいうと室町時代あたりになりますね。

国際ゴシックはフランス・イタリア・ドイツ・スペインなどで同じスタイルが生まれた美術のことを指します。それではさっそくお話ししていきましょう。

フランス美術とイタリア美術のミックス

ベリー公のいとも豪華なる時祷書 五旬節 1400~1500 / ランブール兄弟

ヨーロッパ全域の多くの都市で、優美なフランスゴシックとイタリアの細部にまでこだわった描写が混ざりあった同じスタイルの作品がつくられていきました。これを国際ゴシックとよびます。

「国際」とはいっても今でいう全世界とは異なり、フランスやイタリア、イングランドやドイツを中心とした西ヨーロッパで主に発展した様式です。

国際ゴシックの特徴はいくつか挙げられますが、特に下の2つを覚えておくとよいでしょう。

①イタリア的な細密描写装飾性
②フランス的な繊細で優美華麗な流線形や彩色

フランコ・フラマン派

ベリー公のいとも豪華なる時祷書 1月 1400~1500/ランブール兄弟

この時代、1300年から1400年はじめにかけて、フランス王侯の宮廷で活躍した画家たちをフランコ・フラマン派とよびます。フランコ・フラマンとはフランス・フランドルの意味で、フランスやオランダなどの広い地域を指します。ちなみにフランドルとはフランス語名です。英語名ではフランダースといいます。

このフランコ・フラマン派により、優雅なフランスゴシックとイタリアの細部描写が掛けあわされ、さらにフランドルの写実性と風景画の要素も足されることで国際ゴシックが誕生しました。

幻想的な装飾的絵画

ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ

東方三博士の礼拝 1423 / ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ

1400年ごろになるとフランスでは国際ゴシック様式の勢いがなくなってきます。代わりにイタリア各地を旅して活躍した画家ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノが国際ゴシックを広めました。

ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノは細部にわたって豪華な装飾をほどこし、金箔や宝石などをつかって、華麗な雰囲気をつくりだしました。また、鮮やかな色彩や精巧でこまやかな描写によって、華やかで奥行きのある作品をのこしています。

ピサネッロ

聖エウスタキウスの幻視 1438-1442年ごろ/ ピサネッロ

そしてダ・ファブリアーノの助手であったピサネッロによって国際ゴシックはそのスタイルの極みに達します。ピサネッロは特に馬を描くのが極めて巧みで、筋肉の表現や立体感、動きのある表現は当時の画家をおどろかせました。

またピサネッロの作品は自然主義的な表現を特徴としていて、光や影、対象物の質感など、よりリアルな表現を追究していたことが分かります。

さらに師のダ・ファブリアーノから受け継いだ細密画法をさらに成熟させ、オリエンタルな装飾性を取り入れることで、非常に幻想的で美しくかつ写実的な絵画を創り上げたこともピサネッロの重要な功績のひとつです。

ピサネッロは国際ゴシック様式の巨匠とみなされていると同時に、初期ルネサンスの画家ともいわれています。

国際ゴシックの衰退からルネサンスへ

公女の肖像 1435-1445/ピサネッロ

国際ゴシックはもともとは宮廷的な洗練をめざしたスタイルでしたが、当時、急激に勢力をえて盛んになっていた商人階級や中小貴族の依頼になるものもあって、そういったものはいくぶん粗野なものとなってしまいました。

北ヨーロッパでは、「後期ゴシック」としてのこのスタイルは特に装飾要素で用いられつづけ、1500年代初期にもみることができます。しかし装飾表現ではその後を継ぐスタイルは見られませんでした。

こうして国際ゴシックが衰退していくなか、ついに西洋の文化史、精神史を決定づけるルネサンスが花開くことになります。


※参考文献:西洋美術史(美術出版ライブラリー 歴史編)/鑑賞のための西洋美術史入門(リトルキュレーターシリーズ)/Wikipedia

※タイトル画像はピサネッロ作『ウズラの聖母』(1420年頃) 


最後まで読んでいただきまして、本当にありがとうございました!