マンション住まいなので、迎え火や送り火をどうするか問題というのにいつも悩まされる。
お袋が亡くなった頃は、中目黒のマンションに住んでいて、親父が亡くなった今年は成城のマンション(といってもUR)住まいだ。
どちらも「お盆」という言葉が似合わない街という感じは否めない。
僕は、マンションの規約やらは見なかったことにして、ベランダで火を燃やす。
そして、その火の大きさにいつも慄いてしまい、手を合わせても、早く火が小さくなってください、と変なお願いをしてしまう。
今年は4月に亡くなった親父の初盆だ。
いっとき住んでいた福島県いわき市では、じゃんがら念仏踊りという初盆(当地では「新盆-にいぼん」という)の風習があって、新盆を迎えたお宅のお庭で青年団などが中心となった若者たちが太鼓と鉦を打ち鳴らしてお念仏を唱えてくれる(これが、琉球に伝わってエイサーになったという説もある)。
かたや僕の方はRadioheadを流しながら、おがらに火をつけ、ベランダで缶ビールを飲みながら、送り火を焚いた。まったくもって亜流ですみません。という感じだけれども、仏壇(いや、仏壇ですらない、本棚の一角のお弔いコーナー)の蝋燭にも火をともしながらビールとおがらがなくなるまで、少しずつ火を焚き(少しずつだと、落ち着いて送り火ができるということにやっと気づいた)、部屋に戻ると、小さな蝋燭は燃え尽きていた。
その時に、なんともいえない寂しさがやってきた。
これを何というのかよくわからない。
夏の暑さのせいなのか、おがらと一緒に火をつけた蚊取り線香の香りが呼び覚ましたノスタルジーなのか、不思議な寂しさで胸が詰まった。
海水浴や川遊びでくたくたになった夜に嗅ぐお線香の香り。
そんな子供時代のお盆の記憶がよみがえったのかもしれない。
なんだか、気持ちの収まりがつかなかったので、太い方の蝋燭に改めて火をともしてみた夏の夜なのでした。
みなさま、心安らかに晩夏をおくりましょう。
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