9割は周りのせい ~Vol.2~
中学時代。部活ではなく、より高いレベルでサッカーをやりたいと思い、家から30分ほど離れた町クラブに通わせてもらった。この章では学校生活ではなく、サッカーを通して得た知見やその影響を考えてみる。
GKは人間的成長につながる?
「GKは孤独な立場で、戦犯にも英雄にもなり得る」
よくこんな風に表現される。
バックパスを空振りして失点することもあれば、PKを止めてチームを勝たせることもできる。
「毎試合のプレッシャー」
「自分の後ろには誰もいないという責任感」が忍耐力を向上させるのかもしれない。ボールがあまり来ない日も1試合を通して集中し続けなければならないからだ。
この「忍耐力の強さ」というのは、日本の子供の成長過程で最も評価されやすい部分だと思っている。例えば、長時間姿勢を正して先生の話を聞き続ける子が良く評価される。そして多くの教師はそういった子を作ろうとする。
また、高い忍耐力は人が嫌がる仕事も我慢して出来るということにもつながると思う。当然だが、言われた事・与えられた仕事を最後までやり抜くには、多くの嫌なこともクリアにしないといけない。そこを諦めずにやり続けられる事=忍耐力の強さとも考えられる。
「相手FWとの駆け引き」
これはGKの能力の中で非常に重要である。相手の目線を見て先読みしたり、動揺している表情を察してプレーを変えたりもする。私自身よくやっていたのは、わざと右に行くフリをして左で止める。左のコースを若干大きく開け、ポジショニングミスをしたフリをして相手がボールを蹴る瞬間に左にステップして飛ぶとか(左の方が自分の中で止めやすい感覚がずっとあったから)。
少し専門的技術の話になったが、言いたいことは「相手の行動を察しないといけない」ということだ。
そして、これは日常生活にも繋がっているはずだ。その人の行動、表情を見て感じ取り、どのようなことを言われたら嬉しいのか、またムカつくのかとかを考えてやることが出来る。
これは子供の成長において重要で、「協調性」や「コミュニケーション能力」の向上にも繋がると思う。
「GKは変人が多い」
当たり前だ、人がやりたく無いようなポジションを進んでやっているんだから。だからチームのムードメーカー(お笑い担当)がGKのチームも多い。しかし、変人をポジティブな面から捉えると、しっかりと「自分」を持っているんだと思う。いつも孤独で、GKの練習は全体練習と別でやらないといけない。ミスをしたら周りから冷たい目で見られる。だからこそ、「自分」を信じて努力し続けないといけないのだ。
それが子供の「自我」や「主体性」を伸ばすきっかけになるかもしれない
他にも、「努力をすること」なども考えられる。単純にFPとGKの練習とで二倍の練習量が必要だし、ポジションもチームにひとつしかないため、競争も激しい。この事はチームのレベルも関連するが、上のレベルであればあるほど、そのGKは凄まじい努力を重ねている。
クラブでの活動
クラブチームという環境でプレーしたため、遠征もそこそこあった。親元を離れ、共同生活をすることは「自立すること」に役立つ。またその大切さを当時の監督から口酸っぱく言われていた。それらの遠征のミーティングで、戦術的な部分はもちろん、サッカーに対するマインド的な話も多くあった。
当時の私は、あまり頭が良くなかったため、それらのことから多くのことを吸収することはできなかった。当時の印象を今振り返ると、ただ遠征に行き、サッカーをしていた。
しかし、これは今の私が言語化出来ていないだけで、潜在的な成長に繋がっているのだと思う。
特にこの年代では、「子供自身に気づかせる」環境を作ることが大切なんだと思う。私自身、海外遠征や地区選抜、他県の強豪チームとの試合など多くの経験をさせてもらえた。
自分とは違うボールの蹴り方、キャッチの仕方。多くのことを見て言われて気づき、学ぶことで子供は成長していく。
チームの練習だけではマンネリ化し、井の中の蛙になってしまう。
コーチを通して得た新たな知見
中学、高校と、監督から沢山怒られ辛かったが、サッカーのGKとしては合計8年間続けることができた。
中学校のクラブには今も感謝してるし、この歳になるとその監督の凄さが心の底から分かる。
そしてその監督に高校サッカー引退の報告をした際に、アルバイトとしてサッカーのコーチを頼まれた。
答えは当然YESで、監督・他のコーチにアドバイスもいただきながら、また自分でも指導法を調べ、責任感を持ってその仕事を全力で務めた。
ある遠征先で、ご飯を一緒に食べていた時、私の中学時代の話になった。話の流れは忘れたが、監督がサラッと
「お前の親はよく試合を見に来てくれてたしそれも大きかったのかもな」と言った。
親の試合観戦が子供の成長に影響する?
その時はよく分からなかった。「そうですね」とか言ってわざわざその意味を聞いたりしなかった。
でもその意味に気づくまでその言葉を覚えていたということは、何かその言葉が心に引っかかっていたのだろう。
確かに私の両親はよく試合を見に来てくれていた。小・中・高と大事な試合には必ず足を運んでくれていた。
どちらも経験者ではないため、アドバイスなどは無く、暖かく見守ってくれていた。
おそらくそれが良かった。
Vol.0、Vol.1で「親に迷惑、心配をかけたくない」ということを書いたが、潜在的にここに繋がっていると思う。
「良いプレーを見せたい」という気持ちはサッカーを頑張るモチベーションに、
「心配をかけたくない」という気持ちはいくら怒られても諦めない強い心に繋がっていたのだろうと思う。
当然、これだけ長くサッカーをやっていると多くの「やる気がなくなった選手」、「やめてしまう選手」に遭遇してきた。その選手たち全てに共通している訳ではないが、家庭環境は大きな原因になっていたと思う。
中学・高校時代の友達の親を思い返してみる。そうすると不思議とその子供達はサッカーを真剣に取り組んでいた。
次のVol.3は高校編。環境も大きく変わり、様々な出来事があったので、それらの影響からも考えてみる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?