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「犬がいない」2度目の春

愛犬を亡くしてから2度目の春が訪れようとしている。
”犬がいない”ことを強く感じて寂しくなるのは、春夏秋冬の中でもダントツで春である。

春は毎年、犬と一緒にお花見をするのが恒例行事だった。
お花見と言っても、桜が満開になる近くの公園やちょっと遠い公園に足を延ばして長めのお散歩をしつつ、ベンチでサンドウィッチやおにぎりを食べるくらいのことだが、それが私の中では楽しみだった。たぶん彼も同じだろう。ふかふかのクッションを敷いた自転車のカゴに犬を乗せ、暖かい風を切りながら公園へ向かう。途中小さな虫の大群を避けながら行くのも、あの時はいやでも今ではいい思い出だ。いや、よくはないか。

公園に着くと、小さな子供を連れたお母さんやおじいちゃん、おばあちゃん、そして私と同じように犬を連れた人たちが桜の写真を撮ったりご飯を食べていたり。私たちはいつも、その中でも人気の少ない場所を選んでのんびり過ごすのが好きだった。(犬が犬嫌いなのもあるけど)

持ってきたおやつをあげたり、私の食べてるおにぎりを奪ってきたり、桜をバックに彼の写真を撮るのが好きだった。その時からだろうか、私がもっと良いカメラで写真を撮りたい! と思うようになったのも。

もうひとつは、暖かくてお散歩が気持ちいい季節というのもあるだろう。外を歩けば、犬を連れ歩く人とすれ違う。可愛い犬たちを見ては、思わず笑顔がこぼれてしまう。ひと様の犬を見てニヤニヤできるのも、マスクが必須な今の時代だからできることである。(マスク無くてもしてたけど)
そんな姿を見かける度に「私もお散歩したい!!」と言う、欲が湧き上がってくるのだ。

もともと出不精な私は、一人でどこかへ行くとか何かをするというのが苦手。ましてや散歩なんて”犬と一緒が当たり前”で育ってきたものだから到底一人でなんかしたくない。でもお散歩はしたい。そんな心のズレにまた”犬がいない”という言葉が頭を過ぎり寂しくなるのだ。

犬はかわいい。でも自分だけの犬がいい。自分だけの犬が――

そんな独り占め欲求も出てくる始末。
犬の介護に追われていたある日、会社の人に言われた「犬なんて死んだら別のを飼えばいいじゃん」の一言。あーこういう人ってほんとにいるのかとその時衝撃を受けたのだが、返す言葉がよくわからずその時は「ありえない」の一言で終わらせてしまった気がする。私もここでは”犬”などと呼んでいるが、同じ犬種であろうが同じ母犬から生まれた子であろうが、この世に存在する犬は全て唯一無二であり代わりなんていないのだ。
そんなことを誰もが気分良く過ごせるような、暖かくて気持ちのいい日に思い出してしまう。そしてなぜか虚しくなる。

1度目の春は、記憶がない。
何をしていたかも覚えてない。
仕事に追われてて、そんな中でも犬がいないことが悲しくて、それでも生きていかなきゃいけなくて・・・。結構ギリギリまで心が病んでいたんだと思う。ただ今を必死に生きていたんだと思う。

だから、どんなに虚しくても何かを思い出したり悲しくなったり他の犬が可愛いなと思える余裕が、2度目の春には出てきているのだ。

濡れた鼻先に花びらを付ける
ふさふさの尻尾がホウキの代わりになって、桜の絨毯をお掃除していく姿。
いつもと違う場所にこれて興味津々で探検
飼い主の記念写真に付き合わされてうんざりする顔

”犬がいない”2度目の春は、そんな思い出に浸れるくらいになった。




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