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炭酸の思い出
オイラたちの世代は昭和の体育会で炭酸水はおろか、真夏でも水を飲むのは制限されていた。それは水分補給の仕方が判っていなかったがゆえに、水を飲みすぎて動けなくなったり、横っ腹が痛くなったりすることで、パフォーマンスが落ちるから、それを運動部の顧問が嫌ったことなんだろうなと思う。
それが、その頃の世代全体に広まり、我慢させることで強い精神力が付くという幻想の上に成り立っていた気がする。今から考えるとナンセンスな考え方だ。
当時は炭酸水などは無くジュース類しか無かったため、当然部活では禁止されていたが、単にジュースだからという理由だけじゃなく、歯が溶ける、骨が溶けるという迷信に従って禁止されていた。
なんでそんな迷信があったのか定かではない。その当時のおぼろげな記憶からすると、某炭酸飲料の中に10円玉を入れると、金ぴかにきれいになるから骨が溶けるとか、歯科医師が某炭酸飲料ばかり飲むと前歯が溶ける、などのことをTVでのたまっていたから、炭酸入りの飲料は子供の発育に悪いという理由だったように思う。どこからそんなことが出てきたのかわからないが、迷信もいいところだ。
かく言うオイラもその迷信を信じ込まされていたので、中学入学から高校卒業まで飲まずにいた。身長が止まることが怖かったからだ。
この中学生~高校生の6年間の禁欲生活?ともいうべき炭酸飲料との別れが、その後の炭酸飲料との付き合いを長くする原因となったかもしれない。
部活は全国を目指していたが叶わず、夏の大会で敗退し引退が決まった。キツくて苦しくプレイ自体が嫌になるほどの思い出しかなく、早く引退したい部活だったのに、自分でも不思議なほど泣けてきて号泣したのを覚えている。それだけ全国にかける思いが強かった。
これで縛るものは何もない。
帰りに早速、何ものにも縛られず自由を満喫したくなった。引退した証に、炭酸でチームメイトと乾杯することにした。
6年ぶりに飲んだ炭酸は、思ったよりきつくて涙目になってむせそうになった。強烈な炭酸と爽やかな甘みが、敗退した苦い思いを奥底に流し込んでくれるようだったが、同時に引退したことを実感させた。
自分たちを打ち負かした対戦相手の目の前で、これ見よがしに炭酸飲料を飲みまくる。唯一の腹いせだ。そんな交流も、決勝リーグなどで顔を合わせるライバル校が同じ高校ばかりだから、なんとなく顔見知りになるせいでもある。
そんな顔見知りが、学校は違えど「同志」のような絆みたいなものが高校3年の夏は出来上がっていた。
「お疲れ・・・」
勝っても負けても、ライバル校たちとは、そんなやり取りが自然にあった。
高校を卒業後も炭酸飲料はますます好きになり、常に炭酸飲料を手に持っていた。これまで飲めなかった分、思いっきり飲めるのが何より爽快で、満ち足りた気分にさせてくれる。特に夏は消費量が増した。
「白いTシャツと炭酸が似合うよな」などと周りに言われたので、気を良くしたオイラは、その頃流行っていたHanesの白いTシャツに、洗いざらしのデニムを良く着ていた。
いいオッサンになった今でも、Tシャツにデニムはお気に入りのファッションだ。
もちろん、前歯も骨も健在なままだ。