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幽霊執事の家カフェ推理 第二話・疑惑のパイ包み3

案の定、午後の打ち合わせは漫然と流れていった。昼ほどの焦りはなくなっていたが、それでも塔子はこの空気に浸かる気にはなれない。

つい手元の時計をチラチラと見てしまう。

出張がなくなったこともあって、柳田への依頼は期限が延びたものの、明日は彼の仕事をカバーしなければならないだろう。

・・・まあ、なるようにしかならない。

塔子は最近そう考えられるようになってきた。目の前のペットボトルを見ながら、リュウが飲み口のいいカップで出してくれるカフェラテを思い浮かべた。彼が来てから、以前ほど気持ちがカリカリしなくなったように思う。

だらだらと続く上司のだみ声を、塔子は頷きながら聞き流した。

 

気づいたら、二時間以上もパソコンにかじりついていた。九時を回っている。それでもまだかかりそうだ。体を伸ばしつつ、塔子は席を離れた。

自分にしては久しぶりの大型残業だ。気分転換しないともたない。

給湯室へ行くと、すでに電気がついていた。

「あ、篠崎さんお疲れさま」

「お疲れさまです」

昼間、集まっていたメンバーの二人だった。まだ残っていたらしい。

何年か先輩の社員たちだが、髪を巻いて明るい色使いのセットアップを着こなす姿は、塔子の目にも華やかだった。

塔子やさらに下の年代は、どちらかというとナチュラルな配色を選ぶことが多い。だがそれは、後輩は控えめにしなければならないという上下関係からではない。単にテイストの問題だ。

「ね、体調大丈夫?」

いきなりそんなことを聞かれ、塔子はきょとんとした。

「え?ええ、元気ですけど」

「なら良かった」

盛岡美紀という赤いニットワンピースを着た先輩が微笑んだ。普段の業務では接点が少ないものの、給湯室やエレベーターではよく声をかけてくれる。

「篠崎さんも、朝ケーキ食べたよね?」

「はい・・・」

午前中に、ガトーショコラを皆で食べた。後輩が作ってきてくれたのだ。

彼女は矢野春奈といって、何年か前に転職で入社してきた。お菓子作りが趣味で、時々差し入れを持ってくる。

女の子らしく色白な顔は、焼きたてのパンのようにふっくらしていた。体型も柔らかい丸みを帯びていて、いかにもお菓子が好きそうに見える。まあこれは、塔子の勝手なイメージだが。

盛岡は塔子に顔を寄せて言った。

「あれ食べて柳田さん具合悪くなったみたいなの」

「そうなんですか?」

木下初江も頷く。その動きが大きいので、巻いた毛先も激しく揺れた。

「ちょうどケーキ食べて少ししてからだったし、ねえ?」

昼休みに女性社員が話していたのはこのことか、と塔子は理解した。

二人の勢いは塔子に伝えるというより、噂の楽しみを再開したかのようだ。

「ここだけの話、毒でも盛ったんじゃないかって」

「え、でも・・・私もだけど皆、食べてましたよね?誰も何ともないなら」  塔子の言葉は、木下の甲高い声に遮られた。

「だからね、柳田くんのにだけ入れたんじゃないかって」

聞いた話のように言っているが、二人がそう思っているのは明白だった。

こうなら面白い、という想像が走っているのだろう。

「矢野さん、彼に振られたことあるって話だし、逆恨みじゃない?」

「うわ、怖っ・・・でもあり得るよね」

「でしょ?きっと警戒されないように、皆で食べる分も持ってきたんじゃないの」

これ以上聞いていられない。塔子は会釈して流しに向かった。

盛岡と木下は、塔子が抜けても特に気にしていない様子で、しばらく喋り続けていた。塔子が廊下に出ても、まだ話し声は聞こえていた。

 

 

 

結局、柳田はその週いっぱい休むことに決まったようだった。

いつもはパッと笑顔を向けてくれる麻美も、元気がない。あの日の翌朝、塔子が柳田のことを伝えると泣きだしそうな顔をした。

彼女が笑わないだけで社員食堂が、照明を一つ落としたようにわびしく見えた。

景気づけに塔子は彼女を、例のイタリアンカフェに連れて行った。大志の店に行ってみても良かったのだが、一度行ったことのある店の方が今日は落ち着くかと思ったのだ。

女性オーナーに温かく迎え入れられ、麻美はようやく淡い笑みを見せてくれた。

「また新しいスイーツ出してるんですけど、いかがですか?」

オーナーは手書きのおすすめメニューを置いた。

麻美と塔子は、目を合わせて頷いた。飲み物は、夕方なのでディカフェのエスプレッソにする。

またあの店員がいた。前回同様フニャッと笑って、新メニューのトルタ・パラディーゾを置くと、すぐ真顔に戻って立ち去った。

麻美は相変わらず沈んでいたが、店員が来たときは顔を上げて見ていた。目の保養になったらしい。

トルタ・パラディーゾは、「天国のケーキ」と呼ばれるイタリア北部の伝統菓子だ。塔子にはあの店員のすぐ消える笑みが、一瞬だけ天国を見せる悪魔のように感じられた。

「わ、ホロッと崩れる。おいしい」

麻美は一口食べて目を丸くした。それからカップを口元に運ぶ。少し、いつもの雰囲気が戻ってきたように見えた。

塔子もトルタ・パラディーゾを口に入れた。味はシンプルだが、独特の食感があっておいしい。

塔子たちの表情を見てか、カウンターの向こうであの店員がフニャッと笑いかけてきた。塔子は咳払いして、エスプレッソを喉に流し込んだ。

麻美はしばらくおいしそうに食べていたが、やがて我慢できなくなった様子で

「・・・柳田さん、大丈夫なんですか?」

と訊いてきた。

「週明けには来れると思うよ。ほら昨日、水曜日だったし、今週はそのまま休むって。入院とかでもないみたいだし、きっと大丈夫だよ」

麻美はほっと息をついた。思えば麻美にしてみれば、結局は出張と同じ期間、会えないことになる。それなら出張の方がまだ良かったのだろう。

同時に塔子は昨夜の先輩たちの話を思い出していたが、とても麻美に話す気にはなれなかった。根も葉もない噂だし、余計に心配を煽るだけだ。

今日も社内は、表面上はいつもどおりだった。柳田の不運に同情する声はあったが、それ以上の話が続くことはなく、週末に向けて日常が進んだ。

だが、矢野は見るからに落ち込んでいた。噂の的になったことを知っているのか、それとも自分のケーキのせいだと自発的に思ったのかはわからない。

気の毒に感じたが、塔子は彼女に声をかけることはできなかった。下手に慰めても、逆にケーキが原因だと強調していることになりかねない。

それに正直、しっかり目を配る余裕がなかったのも確かだ。今日は、あまりに目まぐるしかった。

我知らず顔が険しくなっていたのか、ふと気がつくと麻美が心配そうに塔子を見ていた。塔子は慌てて表情を緩めると、麻美に頷きかけた。

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