幽霊執事の家カフェ推理 第二話・疑惑のパイ包み2
恋愛か、と塔子は部屋のソファで呟いた。
塔子自身はそういうものを、一歩引いて見ていた。というか現在のところ、恋愛に対してアンテナが立っていなかった。
これから誰かと知り合って、デートをしてみたいとかドキドキしたいとか、そういった願望がすっぽり抜け落ちている。今の生活がそこそこ快適で、必要に迫られていないせいかもしれない。特に寂しいとも感じない。
そういえば、塔子の友達はネットやSNSの無料婚活をやっていたことがある。だが聞いてみると、実際に会うまで進むことは稀だという。
男性側にそもそも結婚願望がなかったり、最悪の場合、妻子持ちだったと友達は怒っていた。要するに、遊び目的の男性が多いということらしい。場合によっては女性の切実さにつけ込み、足元をみて近づいてくる輩もいるという。
無料だとかスマホ一つで始められるだとか、気軽なツールにはそれなりの考えの人間も多いのだろう。
「恋煩いでございますか?」
突然、降ってきた声に塔子は、がばりと起き上がった。リュウがソファの横に立って微笑んでいる。
「違うよ。ていうか、いきなり出ないでって何度も言ってるよね」
「は。失礼いたしました。お食事がご用意できましたので」
リュウは霧山隆次郎といって、生前は外国で貴族の執事をしていた男性だ。買ったばかりのマンションに突如現れ、半ば強引に塔子に仕えて いる。いまだに理由はわからない。
彼が幽霊であること自体、塔子が信じたというより、他に可能性がないのでそう考えざるを得なかったという方が正しい。
彼を無視したり、気のせいだと自分に言い聞かせたりしたところで、確実に「いる」のだから仕方がない。
塔子の中で本来あり得ないことも、続けばある意味慣れてしまった。
正直なところ彼の料理が、朝から晩まで働く一人暮らしの身には大いに助かることも否めない。最低限のルールを塔子が定めた上で、共同生活(と言えるのかも わからないが)を送っている状態であった。
この日の夕食でも、リュウの実力が余すことなく発揮されていた。
根菜の素揚げに囲われたホタテは、巣の中にある卵のようで、見た目にもかわいらしかった。
サクサクの根菜は塔子の好物だ。ほんの少しだけ火を入れたホタテには、コンソメのジュレをからめて食べる。ゆるく仕上げられたジュレが口の中で溶け、塔子は思わず唸った。
「・・・これ、最高」
リュウは、お褒めの言葉に淡く微笑んだ。
メインはラム肉のロティ。秋が深まってくるこの時期、体が温まるラムは嬉しい。早速、口に入れる。噛んだ瞬間、熱い肉汁が広がった。
ラムはたまにジンギスカンやカレーで食べることがある。だが、こんなにおいしいのは初めてだ。
手作りのソースも絶品だし、肉自体を柔らかくジューシーに焼けるのも、やはり彼の腕なのだろう。オーブンで焼くとパリッとする反面、肉が乾燥することがあるが、リュウの料理はそれを感じさせない。
ボディのしっかりした赤ワインと一緒に、塔子の体をしっとり温めてくれる。
「ねえ」
気持ちがほどけた塔子は、何度目かの質問をした。
「いつも思うんだけどさ、リュウはなんで私にこんなにしてくれるの?」
この問いにリュウが答えてくれたことは、今のところない。幽霊はこの世に文句があるから出るのだろうと思っている塔子からすると、彼はまったくの規格外だった。
いや、実は誰かに深い恨みをもってこの世に留まっているのかもしれないが、そのイメージがまったくつかないのだ。
それとも他に何か、この地を離れられない理由があるのだろうか。過去をたどっていくと、ここはとんでもないものの跡地だったとか。
考えられることだが、塔子にとってはピンとこない。人が生きる場所である以上、ここでは自分の前にも必ず誰かは生活し、死んでいるのだ。
形を変え、時には生まれ変わりながら街は、というより地球は、続いてきたのだから。そしてこれからも、そうして続いていくだろう。いつか塔子がいなくなっても、顔色ひとつ変えずに。そういうものだ。
塔子は、途方もないことを考えながらリュウの答えを待っていたが、やはり彼は直接の言葉では答えない。しかし、
「必要としてくだされば、いつまでもお仕えいたします」
はぐらかすような笑顔ではなかった。塔子はリュウを見つめ返した。
リュウの真剣な目に、ワインの入った心臓がどぎまぎするのを感じた。
「・・・あ、ありがと」
なんとかそれだけ返すと、塔子はグラスを一気にあけた。リュウが今度は柔らかく笑ったので、どきりとした。こんな思いは、久しぶりだと思う。
だが、と塔子は息をついた。リュウへの気持ちは、恋ではない。
麻美は、浮き沈みが激しい。
先日はスイーツに幸せのため息をついていた。だがこの日の昼休み、塔子は、彼女から落ち込みのため息をすでに三回聞いた。
「あのね、ただの出張だから。人事異動とかじゃないんだし」
苦笑いしながら、ハーブティーを飲む。相変わらず社員食堂とは思えない、こじゃれた味がする。それでいて、まろやかで飲みやすい。
「だってここでしか話せないのに」
麻美は口を尖らせた。
「柳田さん、いつ戻ってくるんですか?」
塔子が昼休みを終えてオフィスに戻ると、なんとなくいつもと空気が違っていた。女性社員が集まり、形だけひそめた声で話している。
「やっぱあのケーキのせいだよ。そうとしか思えない」
その輪には入らず、塔子はパソコンに向かった。
柳田に頼んでおかなければならないことがある。明日は空港に直行すると言っていたから、今日のうちに資料をメールしなければ。
が、社内ネットの予定表を見ると、塔子の午後は打ち合わせで一時間以上も押さえられていた。メンバーが全員揃うのが、このタイミングしかなかったらしい。
大した内容でもないのに、集まることに時間をかける意味があるのだろうか。しかしこの上司は、顔を合わせてこそ建設的に議論できると思っている。
彼がそのやり方で長年やってきたことも理解はできるし、重大なことなら、もちろんそうだと塔子も思う。だが彼はどんな細かいすり合わせにも、そのポリシーを適用するのだ。
さすがに今回はメールで共有してほしかった。塔子は小さくため息をつく。これで今日も残業確定だ。
せめてコーヒーでも飲もうと席を立ったとき、柳田の席が空いているのに気づいた。外勤に出ているのだろうか。それにしては、机が片づきすぎている。
予定表にとらわれていた視野を広げると、当の柳田が戻ってきたのが見えた。その顔色は真っ青だった。
彼は皆に軽く会釈だけすると、コートを取って足早に出て行った。
さっきの女性社員たちも、ちらちらと彼を見ていた。「やっぱり」 と囁く声が耳に届いた。
塔子は首をかしげると、とりあえず給湯室に向かった。ちょうど柳田の同期がいたので、声をかける。
「柳田さん、何かあったの?」
「さっき帰りました。なんか急に腹痛起こしたみたいで」
村上慎一は、入社したときから柳田と一緒の部署で働いている。
比較的、人事異動が多い環境の中では珍しい長さかもしれない。
柳田は社交的で顔も広いが、村上とは特別に親しいようだった。二人とも明るくお調子者タイプなので、部署の飲み会でもたいがい揃って幹事をやっている。
村上は、塔子にポットの場所を譲りながら言った。
「昼休み中、トイレにこもってたんですよ。で、さっき部長と話して、明日からの出張もやめたみたいです」
「そうなの?」
だとしたら、相当重いのだろう。
「病院行くのかな」
「行けって言っといたんですけどね。あいつ、だいたい寝てれば治るって言うんで」
村上は苛立っているように頭をかいた。
「昨日、壮行会までやったんですよ。うちで二人で鍋しただけですけどね」
その出張は部長との同行で、柳田は企画力や施策実績を買われて いた。もちろん、スタンドプレーでやれることではないから、チームの統 率力も評価されたようだった。
実際、塔子も柳田と仕事をするときは気持ちよくやれている。
今回の出張は、いわば出世への大きなチャンスで、それは口に出さずとも誰もが知ることだった。
「・・・あいつプレゼンの準備、すごい前から一生懸命やってたんです」
村上がぽつりと言った。塔子は、彼の落胆を受け取ったままオフィスに戻った。
結局、代役をたてるには急すぎることもあり、今回は部長だけで行くことに決まったようだった。
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