幽霊執事の家カフェ推理 第二話・疑惑のパイ包み7
塔子は家に帰るなり、漂う香ばしさに言葉をなくした。
「お帰りなさいませ、塔子さま」
すでに日常と化したリュウの出迎えにぼんやりと頷く。
「何、すごいいい匂い」
「は。お約束のメニューをご用意いたしました」
塔子は、荷物をしまうのもそこそこにテーブルに向かった。
前菜は、牡蠣ときのこのパイ包み。さっきの香りの正体は、どうやらこれらしかった。
メインは、約束のチョコレート料理。一口サイズのステーキに、チョコレートをワインとコンソメで煮詰めたソースをかける。
チョコレートはカカオ分が80%のものらしい。眠気覚ましにとコンビニで買って忘れていたのを、活用したようだった。
先日はお酒がなくても楽しめたが、今夜はワインが必須だ。そんな塔子の思いをリュウはしっかり汲んでいた。よく合う白ワインでグラスを満たして、まずはパイを切り分けてくれる。
「これ、最高だね」
トロリとしたホワイトソースには、牡蠣の旨みがしっかり入っていた。
それをパリパリの生地に載せて食べると、舌がうっとり痺れた。
それ以上は言葉が出ず称賛の嵐とはならなかったが、塔子の様子で充分伝わったらしい。リュウは嬉しそうに微笑んだ。メインのステーキを焼きながら、テーブルのグラスをそつなく赤ワインに替える。
チョコレートをおかずとして食べるのは初めてだった。見た目はデミグラスソースを黒っぽくしたようで、おいしそうな艶がある。
あまり違和感がなく見えたこともあり、塔子は迷いながらも牛肉をそっとソースにつけた。口に入れたとたん、食べたことのないコクが広がった。
独特の苦味があるが、嫌な感じはしない。むしろこの渋みが、肉の風味を引き立てていた。後からほんのり甘みも出る。
「なんか新鮮」
塔子はワインを一口飲んで息をついた。これがまた、料理に合う。
食べ慣れない味でも、自然とフォークが動いた。
柔らかなステーキを噛むと、ジューシーな肉汁がソースに混ざる。
「変わってる・・・けど、すごくおいしいね」
「何よりでございます」
リュウはワインのおかわりを注ぎながら微笑んだ。すっかり気分も寛ぎ、空腹が少し落ち着いてから、塔子は柳田の話をした。
リュウは真摯な顔で頷き、
「麻美さまの想い人でいらっしゃいますな・・・それは不運なことで」
「よく覚えてるね」
柳田のことはそれほど話題に出したことはなかったので、塔子は驚いた。
「けど、今回は矢野さんにしてみても災難だったよね。疑われて変な噂まで出てたし。まあ柳田さん本人が否定したから消えたけど」
ばつの悪そうな盛岡と木下の顔を塔子は思い出していた。柳田が全員の前でケーキのことを言ってくれて良かったと思う。
「確かにケーキ食べて二、三時間たってたから、そう思われたのかもしれないけど・・・他の皆も同じの食べてるんだしね」
私だって食べたし、と塔子が言ったとたんリュウは身を乗り出した。
「・・・いや、だから何ともないって。毒とかあり得ないから」
「それはわかりませんな」
「あのね。ホールケーキだよ?毒を仕込んでも、どこに入ってるか犯人もわかんないって。そんなことするわけないじゃない」
塔子が食べたとなると突然、疑い始めたリュウに呆れながら
「ほら。これみたく丸いのを切り分けて皆に配ったの」
と、塔子はパイを示した。載っていたケーキサーバーでつつき、
「この牡蠣が毒だったとして、狙った相手だけに入れることは無理だよね。万一、入れた場所にナッツか何かで目印つけたとしても、柳田さんにあたるかはわからないじゃない」
そう言った塔子に、リュウは微妙な笑みを浮かべた。
「・・・できるの?」
「は」
古典的な手口ですが、と前置きしてリュウは
「切り分けた後のタルトに共犯者が毒を盛り、それを被害者に配った事例がございました」
そう言いながら恭しくパイを切り分けてよこした。塔子は一瞬、受け取るのをためらった。
「もしくは単独犯の場合、あらかじめナイフの片側にだけ毒を塗っておきます。一度ナイフを入れてから、毒を拭って次を切る・・・という方法もございます。この場合は、狙う相手に自ら手渡す必要がありますが」
ミステリーに出てきそうな話だ。この人は一体どんな執事人生を送っていたんだろう、と塔子は思った。
「・・・まあでも、今回は該当しなさそうだね」
ケーキを切り分けたのは矢野春奈だが、あのとき木下たちだって配るのを手伝った。柳田本人も、周りの人に皿を回していた。
「は。そういう方法もあるということでして・・・わたくしも、ケーキが原因とは考えておりません」
「でしょ?」
やっぱり矢野春奈が何かしたとは思えない。あれだけ青くなって謝っている姿が、偽りのはずがなかった。
振られた逆恨みとの噂も、どこまで本当かわかったものではない。
「そもそも食あたりなんだから、誰かが故意にってこと自体ないよね」
塔子は安心してワインを口に含んだ。
だがリュウがケーキ説を否定したのは、違った観点からだった。
「わたくし思いますに、その前に口にされたものではございませんか」
「ん?」
「柳田さまの体調をお聞きする限り、ケーキではないと存じます」
少し考えて、塔子は言った。
「コーヒー?」
食べる前後に柳田はコーヒーを飲んでいた。ケーキをもらったタイミングでおかわりもしていた。だが、それを淹れたのは矢野春奈だ。彼女が他の人の分もコーヒーを注いでまわった。塔子ももらったのを覚えている。
リュウは首を横に振った。
「あのような中毒症状は、直ちに出るものではございません」
ケーキサーバーを取り、さっき塔子がたとえに使った牡蠣をパイの隙間に、器用に戻す。
「その日に召し上がったものではないと存じます」
そう言ってパイの残りを大切そうに保存容器に入れた。
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