幽霊執事の家カフェ推理 第四話・マーメイドのパルフェ1
じゅうにがつ むいか はれのち雪
ぼくのパパは、いつもぼくにいいます。こわいとおもったとき、わすれないこと。あいてはふつうのひとだ。かいじゅうじゃない。
かってに、ひとをこわいものにしてはいけないよ。このせかいは、きみがおもっているより、ずっとやさしい。
だからぼくは、きょうもこわがらずにおしごとをがんばります。
その日、塔子は昼をずらして麻美とカフェ・ハニービーに行こうと約束をしていた。大志が納品の帰りに、連れて行ってくれることになっている。
カフェ・ハニービー、通称ハニビは大志がやっている店だ。麻美曰く、
「もとはダサ・・・古い感じのハチミツ屋さんだった」
とのこと。
大志の祖父は田舎で養蜂場を営んでいる。父親が街でそれを卸す傍らやっていた小さなハチミツ専門店を、彼の案で改装に踏み切ったのだ。
父が実直にやってきた店は、大志の若い感性で生まれ変わった。従来の自家製ハチミツだけでなく、輸入のシロップやスイーツ商品も取り入れたところ好評で、今のカフェを併設するに至ったという。
おしゃれで高品質なパンケーキやパフェは、女性客の間で当たった。
そうなると今度は彼女たちが連れてくる男性客にも知られ、またSNSを通して広まっていく。
以来、大きなブームにはならないまでも、静かな人気を博しているらしい。
大志の配達が終わってから店を開けるので、もともと午後のカフェタイムが主体だったが、最近は週末のランチや夜のシメパフェバーとしても営業している。
卸でも輸入シロップは安定して提供でき、価格も安い。店の知名度も手伝って、やがてホテルや給食業界へと販路を広げた。
麻美の職場でも(経費の問題でハチミツ瓶の注文本数はシロップには及ばないが)、来客用のクッキーと一緒に仕入れていた。
しかしこの街には、ハチミツやメイプルシロップをそれぞれ専門的に扱う老舗店がある。そういう店からすれば大志のやり方はどっちつかずの中途半端で、彼は「素人蜜屋の若旦那」と揶揄されているらしい。
だがそれも、人気に対する多分の嫉妬が含まれていることは明らかだ。
大志にしてみれば、そんな雑音は全く気にすることではなかった。
塔子と麻美が裏口から出ると、すでに車を停めて待っていた大志は、うす、と会釈した。
・・・うすって。
塔子はあっけにとられたが、一拍遅れて笑顔を返した。
「わざわざありがとう。よろしくね」
「全然すよ。納品の帰りだし」
大志はバンのドアを引き開けた。
そこへ仕事を終えたらしいイヴが出てきた。
イヴこと上川伊雪は三十代と思しき男性で、麻美と同じ会社の障がい者雇用制度で働いている。軽度の知的障がいがあると、塔子は麻美から聞いて知っていた。
名前の「いぶき」とクリスマスイヴが誕生日であることから、麻美をはじめ社員食堂のスタッフはイヴくんと呼んでいる。
彼は一見しただけでは障がいがあるという感じはしない。三日月のようにすっきりした横顔は聡明そうでさえあり、どことなくリュウを思わせた。
しかしやはり子どもっぽい印象ではある。チェック柄の服や、つややかな髪のせいかもしれない。クリッとした目も、大人らしい思考とは無縁に見えた。
基本的にイヴはあまり人と関わろうとしない。しかしどういうわけか、大志とは親しくしているようだった。
元ヤンキーの大志が、なぜ好んでイヴにかまうのか塔子にはよくわからないが、彼はイヴの気を引く術を心得ていた。イヴも、お兄ちゃんと呼んで懐いている。
おそらく、二人の年齢はそう違わないのではないかと塔子は思っていた。
いや、もしかすると実際は大志の方が年下かもしれない。
大志は早速イヴに話しかけていた。
「イヴ。このお姉ちゃんたちと俺のカフェ行くけど、お前もくるか?スイーツ食えるぞ」
イヴは少し顔をしかめたまま、斜め下を見ていた。この様子は別に嫌がっているわけではないということを、塔子は何度か会って知った。
イヴが首をかしげたままなので、大志はカフェで飼っている熱帯魚の話を始めた。
「熱帯魚、南国の魚だ。いろんな色があって、きれいだぞ。見てみたい?」
イヴは斜め下を向いたまま、コクンと頷いた。
「見に来る?」
コクン。
「よし、じゃあ行こう。おいで」
大志はイヴの手を引いて、バンに連れて行った。声を弾ませて助手席に座らせる。
「シートベルトしろ。このボタンは絶対押すなよ、外れるから」
イヴは黙って大志の手元を見ていた。はしゃぐ彼にイヴの方が付き合ってやっている、という印象なのが塔子たちにはおかしかった。
カフェ・ハニービーは北欧風の佇まいで、落ち着いたデザインのクリスマスツリーが置かれていた。
塔子と麻美は「女性受け」の例にもれず、一目で気に入った。
木をふんだんに使った店内には、余計な装飾の代わりに温かみがある。映画で見る外国の別荘のようだ。
失礼ながら、ヤンキー上がりの大志のセンスとは思えないと塔子は思った。
「夜まではこのままクローズにしとくんで、ゆっくりしてってください」
大志は配送用の上着を脱いで、黒いエプロンをつけた。それだけで少し洗練されて見えるのが不思議だ。
塔子と麻美は、ソファ席に腰を落ち着けてゆったり寄りかかった。心地よさで、疲れも意識下に沈んでいきそうだった。
イヴは熱帯魚に夢中になっていた。カウンターとテーブル席の傍にある大きな水槽では、色とりどりの小さな魚が行き来している。
北欧らしさと考えるとこの水槽は異質だが、シックなデザインのせいか、浮いてはいなかった。
大志が熱帯魚の種類を教えると、イヴはじっと眺めた。顔を近づけて海の世界に入っている。
「おにいちゃん、これすごい」
「だろ?」
しかし説明のせいで、大志はなかなかキッチンに入れずにいた。その空気がイヴにはわからない。ひたすら指を差して、次々に魚の名前を尋ねた。
「これは、ゴールデンハニー・ドワーフグラミイ。あのな、イヴ。お兄ちゃん、これからおいしいもの作るから・・・」
「これは?」
「ブルーグラス。イヴ、お兄ちゃんちょっと」
「これは?」
「・・・ネオンテトラ」
大志が苦労しているのが見てとれて、塔子と麻美はクスッと笑った。
この調子では食事にありつけるのはだいぶ先かもしれない。塔子はこのランチを余裕のある日に設定して良かったと思った。
二人は大志の救出も兼ねて水槽を見に行った。落ち着いた照明の下、魚がキラキラと不規則な輝きを見せていた。
イルミネーションや人造のライトでは決して見られない美しさに、塔子たちも思わず見入る。
「・・・きれい」
麻美がため息をつき、イヴに声をかけた。
「これすごいね、イヴくん」
しかしイヴは黙ったままだ。一直線に水槽の中を見つめている。その隙に大志がカウンターに入っていった。
それからも、ずっとイヴは水槽に張りついていた。
「イヴくん、あっち座ろうか。何食べる?」
塔子が声をかけても、目を丸くしたまま魚から離れない。
「塔子さん、いいっすよ気にしないで。俺が目届くし、好きにさせといてください」
カウンターから大志が声をかけてきたので、塔子は麻美と席に戻った。
イヴは首をすくめて少しの間、二人の方を見ていた。が、やがてまた水槽に目を戻した。
「イヴくん、すごいシャイなんだよね。知らない人とは絶対しゃべらないし、知っててもあまり打ち解けないから」
麻美がメニューを開きながら言った。
「うちの食堂のおばちゃんに可愛いねって言われただけで逃げちゃうの。だから鈴森さんは、例外中の例外」
カウンターの大志を見て少し声をひそめ、
「鈴森さんも、ほら元ヤンでしょ?何で面倒みてあげてるのか、なぞだけど仲良いよね。イヴくんも全然怖がってないし」
確かに、と塔子は思った。いかつい印象の大志より、食堂の女性の方が普通は話しやすそうなものだが、イヴなりの基準があるらしい。
彼は彼だけの世界に生きているのだろう。そしておそらく、今は熱帯魚しかその世界に入れないのだ。
そこには一般的な利害という概念はなく、イヴが子どものまま変わらない、という印象を与えていた。
だが単なる幼さとは違う。それは、イヴが彼自身の秩序にとらわれているせいだと塔子は感じていた。
彼は決して自由なわけではないのだ。好きに振る舞っているように見えても、欲求というよりは、彼なりのルールに則った行動であることも多いという。
その世界が基準である以上、いわゆる「察し」や「空気を読む」ということができない。相手の気遣いや揶揄も含めて、言外に通じるものがないのだ。
加えてイヴは表情に乏しく、彼自身の気持ちも相手になかなか伝わらない。人の目を見ず、斜め下を向いたまま頷くだけのこともある。
大志によると乗ってくれば意外によく喋るし、笑わなくても本人は楽しんでいるらしい。
しかしそれを他者に理解してもらうことは困難だ。共感性の不足は一緒に生活や仕事をする上で壁になるし、当然のことながら会社の同僚たちは福祉の専門家ではない。障がいを持つ人もそれぞれ状態が違うから、もし対応マニュアルを作ったとしても、当てはまるとは限らない。
形式上の制度だけでは、まだまだ難しいのだろう。
塔子自身も、イヴのことを多少理解できたのは麻美の補足を聞き、何度か彼に会った後だった。
いつの間にかイヴはカウンターの前に移動しており、大志が彼に自慢のハチミツを見せていた。
「これはな、お兄ちゃんのおじいちゃんが作ってるんだ」
小さな皿に出したハチミツを指ですくい、再び皿の上に流して落とす。
「きれいだろ、こうして見ると」
確かにハチミツは艶があり、間接照明を通して黄金色に光っていた。
これがあの小さな蜂の賜物なのだから、自然の力は偉大だ。
指ですくったハチミツをびっくりした顔で見た後、イヴは目を伏せた。
それから突然、大志の手を掴んで皿を払いのけた。
塔子と麻美は思わず腰を浮かしかけた。
大志も驚いたようだった。が、自慢のハチミツをそんなふうに扱われたのに、怒りはしなかった。待て待て、と言ってイヴを柔らかく押さえる。
「どした、イヴ」
イヴは答えなかった。小さく唸って頭を激しく振る。それからカウンターを離れ、逃げるように水槽の方に走っていった。
大志はポカンとカウンターの中に突っ立っていた。
二人の様子に、塔子と麻美は顔を見合わせた。
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