幽霊執事の家カフェ推理 第二話・疑惑のパイ包み5
翌日、塔子は遅い昼休みを社員食堂でとっていた。
人事部との打ち合わせが思ったより長引いたのだ。後輩の勤務態度について、なぜか塔子が訊かれた。昇格が検討されているのだろうか。
性別に関係なく、正当に評価されるのはこの会社のいいところだと思う。
塔子は、後輩が先に昇格しても特に何とも思わない。
そういう形でなくても努力が報われることはあるし、後輩に抜かれて会社にいづらくなる雰囲気でもない。
欲がないと言われることもあるが、目先の損得勘定に振り回されていたら、いい仕事はできないと塔子は思っていた。
表に出ずに貢献しても、結果的に会社がいい方に回れば、ご褒美はついてくる。ボーナスとか、堂々と取れる休暇とか。
手を抜いているつもりは毛頭ないが、出世をめざしてしのぎを削るより、私生活が充実する方が自分にとってはありがたいと塔子は思う。個人の実績だけを評価する社風でないから、言えることかもしれないけれど。
麻美は塔子に気づくと、ハーブティーを出してくれた。それを口実にまた話したいことがあるらしい。
彼女の話を聞くと、塔子も肩の力が抜けてリラックスする。
正直な気持ちが語られるからだ。ときに愚痴になることもあるが、給湯室でもれ聞こえてくるような陰口や嘘がないので、好感が持てる。
が、つかの間のゆったりした空気は、裏口からの胴間声に奪われた。
「毎度さまでーす」
食堂の中にも届く勢いで、大志が納品に来た。麻美は共感の苦笑いを塔子に向け、奥に戻った。
ほどなくしてカウンターの向こうで大志が箱を積むのが見えた。
「おお、イヴ。元気か?」
奥でハーブティーを作っていたらしいイヴに話しかける声まで聞こえてくる。
「鈴森さん、ハーブティー飲んでいきませんか?もうお昼終わって空いてるし」
麻美は笑顔を浮かべて言った。
「喉かわいてたんで助かります。あざっす」
大志が、お前も来いよとイヴを引っぱっている気配がした。
イヴこと上川伊雪は、障がい者雇用枠で働く社員食堂のスタッフだ。
名前の「いぶき」とクリスマスイヴ生まれであることから、そう呼ばれて親しまれている。いつも裏でハーブティーを作っているので、塔子も見かけたことは数回しかない。
なぜか大志と仲が良く、大志は彼を弟のように可愛がっていた。
二人が出てきたので、塔子はハーブティーを飲みほした。別に彼らを避けているわけではないが、残りの休憩はひとりでゆっくり過ごしたい。
大志は二人分のハーブティーをテーブルに置くと、言った。
「お、イヴ。かっこいいのつけてんな」
塔子はつい視線を投げた。
イヴはペンダントをつけていた。遠目にもわかるほど大きめのモチーフで、カシミアらしいトップスに合っている。だが、それを着ている本人からは、イメージし難いタイプだ。
高級ブランドの商品だということは塔子にもわかった。かなり前のことだが、このブランドが流行っていた頃はあらゆるファッション誌に広告が出ていた。
イヴは何でもないことのように、無関心な目線をペンダントに落とした。
「お客さんがくれました」
「すげえな。お前のお客さん、セレブか?」
大志の興奮した笑顔にも、イヴは首をかしげて斜め下を向いただけだった。ブランドや値段的な価値はわからないのだろう。いや、興味がないと言うべきかもしれない。
贈り主が社員食堂に来るからつけてきたのだろうか。イヴが、そんなことを考えるとは思えないのだけれど。
ここの食堂を使うのは塔子の会社の人間か、入居しているオフィスの社員くらいだ。その中に高級ブランドのアクセサリーをイヴにあげた人がいるのか。
少なくとも塔子の見知った面々からは、まったく想像がつかない。
なんとなく気になったが、塔子は予定どおりすっと立ち上がって自分のフロアに向かった。
日曜日の午後、塔子はいつもの大きな公園に行った。すっかり葉が落ちて、植え込みには冬囲いがされ始めている。
グレーに揃いつつある景色はどこか寂しげだが、この感じも塔子は嫌いではない。
遊歩道を少し進むと、子ども向けの遊具がある。遊び納めというように、にぎやかな声が聞こえてきた。あちこちを、色とりどりのジャンパーがひらひら動き回るのを、塔子はぼんやり見つめた。
身をかがめて一緒にすべり台に上る母親。少年に笑いかけながら、遊具をグルグル回す父親。ベンチでママ友同士、盛り上がっている女性たち。塔子と同年代と思われる人もいた。
・・・こういう生き方も、あるのかもしれない。
塔子はぼんやりと考えていた。自らの本心を、そっと探ってみる。自分は羨望や、嫉妬を本当は感じているのだろうか。
でも、どうしてもしっくりこない。 しばらく試したが、客観的に微笑ましいなと思うほかは、心は空だった。
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