幽霊執事の家カフェ推理 第二話・疑惑のパイ包み4
帰りに、チーズショップに立ち寄った。そろそろ濃厚なチーズが恋しくなる季節だ。
ここは古くからある専門店で、他店にない珍しいものも扱っている。
どのワインと合うかも教えてもらえるので、塔子にとってはありがたい店だった。
いつもと同じく、店内は空いていた。ホテルや高級レストランと取引があるからこの客数でもやっていけるのだと、ワイン通の知人が言っていたのを思い出す。塔子の他には二、三組の客がいるだけだ。
初めて来たと思われる女性客が店員に質問していたので、商品を見ながら待つことにする。
女性客はブルーチーズについて熱心に聞いていた。というより、店員が熱く語っているようだった。
彼は、ブルーチーズとハチミツを一緒に食べることを勧めた。
「同じ産地のハチミツを合わせるのもいいですよ」
と、近くにある老舗のハチミツ専門店を教えている。こういう相互紹介も、専門店が多いこの地区ならではの文化かもしれない。
だが女性客は、新しい店に興味があるらしかった。ハニービーと聞いて塔子は顔を上げた。大志の店だ。
しかし、店員は
「知ってますが、あまりおすすめはしませんね」
と言った。それが鼻で笑うような声だったので塔子は驚いた。
あの店員とは何度か話したことがあるが、こんな言い方を聞くのは初めてだ。
「田舎にある養蜂場が始めた店なんですけど、メイプルシロップも輸入しててね。この辺りにちゃんとした老舗があるのに、遠慮もなくたたき売ってるわけですよ。何か、変な安いものでも適当に仕入れてるんじゃないですかね」
「はあ・・・」
そこまで批判的な話を聞くとは思わなかったのだろう、女性客はポカンとしている。
彼はおかまいなしに、思いの丈を放っていた。
「ハチミツだけじゃ売れないんでしょうね。スイーツとかカフェにまで手を出して。わきまえずに何でもありなんて、ちょっと、ねえ・・・ここだけの話、業界じゃ笑い者ですよ。素人蜜屋の若旦那って」
塔子は、麻美の話を思い出した。
何のことはない、ここが老舗のハチミツ店と親しいので、大志の店を良く思っていないだけのことだ。ここだけの話と言いつつ、方々で言いふらしているに違いない。
「肝心のハチミツも、うちのチーズに合わせるには何となく田舎くさくて。やっぱり、専門店が一番ですよ」
こだわりやプライドをもっているのはわかるが、他店のことを客に歪めて伝えるのはどうかと思う。養蜂場から直送のハチミツなら、むしろ大志の店こそ専門店ではないのか。
塔子はつい反論したくなったが、自分も大志の店に行ったわけではないので黙っていた。
女性客は店員の勢いにのまれたのか曖昧に頷き、結局はブルーチーズを買わずに出て行った。
塔子も続いて店を出た。チーズを買う気分ではなくなっていた。
リュウは、今日は塔子が早めに帰ったことを喜んだようだった。 コートを受け取って丁寧にかけ、いそいそとキッチンへ向かう。
「昨夜は、何もお召し上がりにならずおやすみされましたので」
確かに、昨夜はあまりに疲れていた。冷蔵庫からペットボトルのジャスミンティーを取って寝室に行き、そのまま朝まで出なかった。メイクも落とし忘れて、起きたあと慌ててシャワーを浴びたくらいだったから、リュウがどうしていたかも印象に残っていない。
昨夜は夕食抜きだったことを改めて考えると、さっきトルタ・パラディーゾを食べたばかりなのに空腹を覚えた。
待つ間にカフェ・ハニービーを検索する。帰って食事の準備をしなくていいのは、この奇妙な共同生活における一番の利点だ。
検索ボタンをタップすると、真っ先に口コミサイトが出てきた。こういうサイトのおかげで、なかなか発見できない隠れ家的なお店が見つけやすくなったと塔子は思う。それはいいことだが、一方で店主の意図しないところで情報が拡散されることでもある。
お気に入りのイタリアンカフェでも、スイーツを撮影している人をよく見かける。許可をとっているようにも思えない。
塔子は、カフェ・ハニービーの口コミを覗いてみた。すでに写真が多数アップされて、これを見ただけでも店内の雰囲気やメニューの想像がつく。
撮り方に左右される面もあるが、見る限りはけっこうおしゃれに見えた。
訪問者の評価も悪くないようだ。悪意のある投稿は今のところなさそうで、塔子はほっとした。商売敵が悪質な投稿をすることもあり得るからだ。
もちろんサイトの運営会社や店側も警戒しているだろうが、ネットの海は監視が追いつかないほど荒い。
そんなことを考えていると、いい匂いが漂ってきた。塔子はソファから起き上がり、キッチンを見た。
リュウは塔子がテーブルに来たのを見計らい、小さな土鍋を運んできた。蓋を開けると、優しい香りと湯気が塔子の顔を覆った。思わず声が もれる。煮込みうどんだ。白だしのスープに、柚子胡椒が効いている。
塔子はスープを一口すくってから、うどんを吸った。もちもちしておいしい。たっぷり入った根菜やきのこは、優しい歯ごたえがあった。ふっくら炊かれた鶏もも肉も絶品だし、そのエキスがスープにも溶け込んでいる。
「これ、癒されるね」
塔子は柚子胡椒が載った部分を、スープと一緒に食べた。
「今日はお酒なくていいかも」
リュウは微笑んでお辞儀をした。
「食後には、甘味がございます」
甘味という渋い言い回しのとおり、珍しくリュウは和菓子を出してきた。
規則正しく切り分けられた羊羹だ。そういえば、前に何かのお土産にもらったのをそのままにしていた。自分ではなかなか開ける機会もない。
羊羹はリュウの個人的な好物らしい。ちなみに、こしあん派だという。
見ると、これもそうだった。餡がなめらかに舌に触れておいしい。
夢中で食べていた塔子は、ふと苦笑してフォークを置いた。
「じゃあ、これ食べたいよね。なんかごめん、私だけ楽しんじゃって」
「もったいないお言葉でございます。わたくし、好物を塔子さまに気に入っていただけて、本望でございます」
リュウはそう言ってガラスのポットにお湯を注いだ。ほうじ茶のような味で、飲みやすいハーブティーだ。
「塔子さま、ご存知ですかな」
「ん?」
「羊羹は、初めは甘いものではございませんでした」
「え、そうなの?」
「は。もともとはお菓子ではなく、中国から来た羊の肉の煮こごり料理だったそうでございます」
その後、日本では小豆を使った精進料理になり、やがて今のお菓子になったのだという。
へえ・・・と塔子は首をかしげた。リュウに笑いかけながら、最後のかけらを口に入れる。ハーブティーの味とも、よく合っていた。
「おもしろいね。全然イメージ湧かない」
その反応に得意になったのか、リュウは続けて料理に使う甘くないチョコレートの話をした。
「あ、それは聞いたことある。コクが出るんだっけ・・・メキシコ?」
「は。よくご存知ですな。メキシコのチョコレートソースは甘辛いそうでございまして・・・そちらはわたくしも、あいにく試したことはございませんが」
「そうなんだ。あ、けど確か日本でも、カレーの隠し味にチョコ入れる人、いるよね」
「塔子さまは博識でいらっしゃいますな」
単なる聞きかじりか、ネットで見ただけの情報なのだが、塔子は素直に微笑んでおいた。
チョコレートソースはフランスでも肉料理に使われることがあるらしい。
甘みをほとんど感じない、カカオに近いものだという。
「ところ変われば食べ方変わる、というわけでございまして。よろしければ、来週お作りいたします」
「ほんと?嬉しい。材料は何買ってくればいい?」
優しい食事とリュウの雑学話で、塔子は頭の隅に凝り固まっていた暗雲が、ほどけていく気がしていた。
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