幽霊執事の家カフェ推理 第三話・友情のクロケット3
千枝子は床に散らばるおもちゃに、何度目かのため息をついた。
「千晶、いい加減これ片づけて。新しいもので遊ぶときは前のしまう約束でしょ」
除けても除けても、小宇宙のようにおもちゃが広がっていく。それを見ていると、理由はわからないが精神的に疲れる。
千晶にはまだスマホやゲーム機は与えていないから、教材や絵本を含めて物は多くなる。散らからないという点や収納の問題では、画面ですべて完結するスマホの方が楽だ。
千晶は聞いているのかいないのか、熱心にスケッチブックに向かっていた。千枝子はつい、声を大きくした。
「千晶」
「今、事件のさいげん描いてるの」
「いいから、先に片づけて。パパ帰ってくるからごはんの準備するよ」
「だって、現場のほぞんは大切だよ」
また「きょうすけくん」との探偵ごっこなのだ。言い慣れない言葉を使う娘を普段なら微笑ましいと思うが、この時は千枝子も気が立っていた。
「千晶、いい加減にして」
千晶の前にしゃがんで肩を掴む。
「だって、きょうすけくんが言ったもん」
「違うでしょ?」
千枝子は抑えた声で言った。
「千晶。きょうすけくんなんて本当はいないの」
千晶は怒った顔で首を横に振った。
「いるよ」
「じゃあどこにいるの?ママに見せてみて」
千晶は潤んだ目で千枝子をにらんだ。千枝子は千晶をじっと見返した。
あまり、追いつめてはいけない。
千枝子は長い息をつくと、少し声を和らげた。
「とにかく、これちゃんとしまって」
千晶はスケッチブックを乱暴に閉じると、部屋に走っていった。
千枝子は今は追わず、そのまま片づける気になるまで残しておくことにした。
子育ては、時として戦いだ。思いもよらない展開や、収まらない自身の気持ちとの。
すごく近いのに、子どもは自分のものでも自分でもない。
そんな存在と接していると、ときに千枝子は束縛を感じる。時間的にも、精神的にも。
でも今の自分にとってそれは普通のことだし、それを不遇だと感じるわけでもない。
だがふと、塔子のような自由に見える人のことを考えることはある。千枝子は、昼間にゆっくりワインを飲んでいた塔子の姿を思い出した。
いいなあとは思うが、心の底から羨ましいと思っているわけではない。
思ってはいけないし、思ったところで現実が変わるわけでもない。
だって自分には、そんなことに代えられない、他の何にも代えられない、大切なものがある。
たまに突拍子もなく一人でどこかに行きたいなあ、というくらいのことは千枝子だって考える。たとえば、今がそうだ。
でもそれは、決して現実的な願望ではない。
残業帰り、塔子はイタリアンカフェに寄った。遅くなった日は、少しまろやかな飲み物で一服して帰りたい。
ダリオ・マキアートというドリンクが手書きのメニューに載っている。新作のようだ。
「あ、それおすすめです。マキアートより少しボリュームもあるし」
オーナーは微笑みかけた。マキアートといっても、ここのはエスプレッソに少しだけスチームしたミルクを注いだものだ。
日本では甘いキャラメル・マキアートの方が人気だが、イタリアではこちらがよく飲まれているらしい。
「上に、ホイップクリームを載せてシナモン振ってるんですけど、ウィンナ・コーヒーより濃いから、そんなに甘くないですよ」
これもあの店員が考案したのだと、オーナーは少し誇らしげに言った。
メニュー名の「ダリオ」はイタリアのミステリー小説に出てくる探偵の名前らしい。日本では知られていないが、人気のシリーズだという。
塔子も読書は好きだが、初めて聞いた。
その探偵がくわえているパイプの形にシナモンが振られていた。あの店員は、なかなかコアなミステリーファンのようだ。
本人は休みなのか見あたらなかったが、手製のエスプレッソはむしろオーナーの領分である。塔子は安定の風味を、新しい飲み方で堪能した。
彼女の淹れる直火エスプレッソの香ばしさと、甘過ぎないクリームとのバランスがちょうどいい。新しいお気に入りになりそうだった。
塔子がひと息ついて立ち上がりかけたとき、千枝子がひどく慌てた様子でカフェに駆け込んできた。
「こんばんは」
目を丸くしながらも、オーナーは声をかける。
「大丈夫ですか?」
「千晶が・・・千晶、来てませんか?」
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