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#76 劣等感を言い訳にするのかバネにするのか

こんにちは、きっかけラジオのりゅうです。

このnoteは、↓の音声配信を書き起こして、少し編集したものです。

今日のテーマは劣等感を言い訳にするのか、ばねにするのか、そんな話をしてみたいと思います。

劣等感、ありますか?

だいたいの人は一つや二つあるんじゃないですかね。自分の容姿に関することだったり、家庭環境だったり、学歴だったり、何かの能力的なところだったり、運動神経が悪いとかいろんなところで劣等感って誰しもが抱えているものなんじゃないかなと思います。

劣等感も使い方次第

そんな劣等感も使い方次第というか、必ずしも悪いものじゃないよっていう話を今日はしたいと思っています。

一般的なイメージとして劣等感を抱えているっていうと、何かもう、それ自体が悪いことみたいなふうに思ってなおさら自分を滅入らせてしまうみたいなことってありますよね。

劣等感っていうのは、あくまでも人と比べて少し劣っているように、自分が思っているだけのことですよね。

例えば、ベストセラーの「嫌われる勇気」の中で紹介されていた例としては、身長が低いという劣等感を例にこんな説明がありました。

背が低い、は短所か?

身長が低いっていうことが劣っている、と感じているのは自分だけなわけで、背が低いっていうことが周りの人をくつろがせる才能になっているみたいなことを、他の人に言われたときに、背が低いっていうのは長所にもなり得るっていうことに気づけたと。

その特徴が人と比べて劣っているのか、それとも優れているのかっていうのは見方次第だし、自分の解釈次第なので、なんていうか、その劣等感を感じていること自体は別にいいことでも悪いことでもなくて、自分の主観に基づく判断の一つでしかないってことですね。

また、学歴がないから、出世できないとか、転職がうまくいかない、就職がうまくいかないみたいなことを劣等感に感じている人がいるとして、これもあくまでも今説明した通り、自分がそう思っているだけのことなので、その劣等感を言い訳にして、どうせ自分は学歴がないからうまくいかないと言って、うまくいかない人生を歩いていくのか、学歴がないなりに、これから勉強していこうとか、今自分は人と比べて劣っているかもしれないけど、だったら努力して克服していこうとか、そうやって劣等感自体を言い訳にするのではなくて自分を成長させるための材料にするバネにするっていうのがいいんじゃないかなって思います。

考え方は変えられる

この考え方も、アドラー心理学の考え方で劣等感自体は、何度もお伝えしている通り、人と比べてその性質を自分が劣っていると主観で決めているものですね。
なので、主観で決めている以上は、その考え方は変えられるっていうことなんですよね。

背が低いことを劣っていると思っていたけど、それによって周りの人に親しみやすさとか、くつろいだ感じとかを与えられるんだったら、それは立派なと長所というか、いいところなので、同じ性質でも見方によって、短所にも長所にもなる。

長所として捉えて過ごしていった方がいいし、短所として捉えるんだったら、それをバネにして、それを克服するような努力の材料にするっていうのが素敵かななんて思います。

ということで今日は劣等感、劣等感を言い訳にするのか、ばねにするのか、そんなテーマでお話をしてみました。

人よりも劣っていると感じるなら、劣等感をバネにして、克服するための材料にしていけたらいいと思います。
今日のお話も、あなたのきっかけになると嬉しいです。最後まで聞いていただいてありがとうございました。

きっかけラジオのりゅうでした。

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