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親族の不幸が続き、タフやったメンタルがコントロールできなくなった話

不幸に浸っているほど人生は長くないと思っていますし、大変やという状況を外にアピールしたいわけでも無いのですが、この1年ほどどうしても自分ではコントロールできないメンタル不調とそれを起因とする体調不良が続いていました。そこに向き合った備忘録として残せればと思い、出来事をまとめています。

起こったこと

2023年2月 母方の祖母の逝去
2023年6月 父の急逝
2024年1月 父方の祖母の逝去
2024年8月 父方の祖父の逝去

僕らはこの1年半で、4人の親族を失いました。
30代半ばという年齢は身内の不幸が起こりやすいタイミング…とは言われますが、こんなに続くとは…。単純に比べられるものではないですが、特に父の急逝はショックが大きく、そこから僕は自分の心身の調子をコントロールできなくなっていきます。

メンタル不調を抱えながらもなんとか走った期間

2023年6月12日の朝8時半頃、母から電話がかかってきて父の悲報を知りました。月に何日かある夜勤のタイミングで仮眠室で亡くなっていたようです。65歳なのでいくつかの生活習慣病の対応はしていたものの目立った持病はなく、主治医も驚きの急性心不全でした。2日前には元気に家族旅行をしていたのに…本当に驚きというか、未だに信じられません。

この日から2024年1月頃までは、僕は不調を抱えながらも変わらず仕事を続けていきます。当時はまだ心療内科への受診という選択肢を持ち合わせてなかったためあくまで自身の感覚ですが、以下の4つの症状が挙げられます。

  1. トラウマのフラッシュバック:"父の遺体と初対面した警察署の安置所の風景"が急に目に浮かび、怖く・悲しくなってきて涙が溢れパニックのような状態になります。お風呂や運転中などに発症するのですが、特に入浴・シャワーに関しては、スマホを持ち込んでなにかしらを観たり聴いたりしていないと怖くて入れないくらいでした。好きな音楽やゲームの生配信、ラジオには本当に助けられました。

  2. 寝付けれない:父は寝ているときに急に心臓が止まったので、「次は自分にも同じことが起きるのではないか」という恐怖が生まれ、なかなか寝付けれない日々が続きます。これは今もたまに現れる症状です。

  3. 集中力の欠如と凡ミス:スポーンと何か抜けてしまうことがある他、日常からどこか集中ができない状態が続きました。また、集中力だけではなく1日の活動量(体力とはまた違う)も減っていた気がします。

  4. プロジェクト管理業務への影響:自身の業務的な強みの1つに、淡々と上下左右のあらゆる関係者を調整しプロジェクトを確実に前に進めていくことができる、というものがあります。この質が大きく落ちました。前述の3とも重なる部分ですが、集中力が欠如していたりメンタル的なタフさが無くなったりしている影響から、抜け漏れが多く、また1つ1つ細かいことが気になってしまい右往左往してしまう状態でした。

会社やプロジェクトに迷惑をかけてしまうこともありました…。(それは本当に申し訳なかったです)が、大事故にならなかったのは運が良かったです。

このタイミングで心療内科へ行っとたらまた状況は違ったかもしれませんが、休むことを選択するような余裕が心身ともに無かったので仕方ありません。ただ、振り返ると「安易に逃げずに仕事をしていてよかったな」とは思う部分もあります。いきなり長期的に休んどったら、その期間に悲しいことばかり考えてしまい今より落ちとった可能性もあるなと。これは難しいところですね。


祖母の死と心療内科への受診

騙し騙し、なんとか走っているうちに次は祖母の死がやってきます。2024年1月のことでした。
ばあちゃんは2023年末頃から軽い不調で入院をしていましたが、無事に回復して翌日退院が決まったタイミングで急に別要因で悪くなり、そのまま数日で亡くなってしまいました。年末年始&コロナ対策で病院側の制限が厳しく、こまめにお見舞いできなかったことが今も心残りです。

祖母が亡くなったことを会社や仕事関係者に報告すると、お世話になっている方々から一斉に「一回休め」という言葉を頂きました。ここで初めて「あ、休まんとダメな状態なんやなおれは」と実感します。プロジェクトが遅れることが分かっていながらも「休め」と言ってくださった皆さんには、本当に感謝しています。

ここで人生で初めて心療内科へ行き、正確に診断をしてもらい休職することとなりました。症状は概ね自覚していたもので間違いなく、先生からは「休んで簡単に治るものでもない病気なので、働きながら・対処しながら気長に治していきましょう」という提案を頂きました。ひとまず、2月中旬から3週間ほどはお休み。3月に復帰を果たしてからも有給を消化しつつ働かせてもらい、また、関わっていたプロジェクトのうち1つ大きなものは、3月末まで離れる形を取らせてもらいました。

心療内科への受診は、僕も最初は少し抵抗がありましたが、今では「もっと多くの人が悩んだ際に気軽に利用できたらいいな」と思っています。
ちなみに、診断書と薬をサクッと出すだけの先生もいる(たぶんそういうニーズも多いので仕方ない部分ではあるかと)ので、キレイごとだけではなく向き合い方・対処法を教えてくれるメンターと出会えるとベターです。そこに継続して通いましょう。僕の場合は1つ目に行ったクリニックは合いませんでした。また、小さなクリニックはどこも混雑していて"初診まで1ヶ月先"といった状況もあるあるみたいなのでご注意ください。


父がいないことを実感する日々

まとまって休んだおかげか、時間が経過したためか、復職時あたりから症状が変わってきました。まず"思考力"は回復してきて再び一定のクオリティで仕事ができるようになり、理解できない凡ミスも無くなってきました。集中力は7-8割の回復・・・という感覚ですが、そこまで上がれば諸々工夫して対処することができます。
パニック障害については、定期的な診断と共に向き合い方(症状が出たらこう対処する、こういうメンタルの持ち方を心がける、心を落ち着ける漢方を常用する、万が一の場合は処方した睡眠系の薬を…)を色々教えてもらえたことで対処ができていたのと、幸いにも時間の経過からか発生頻度もかなり少なくなっていました。

ただ、寝付けないことは引き続き、また、新しい症状として「朝起きたくても身体を起こせれない日がある」を発症しています。(※月1回は心療内科に通っているので、追加で診断を受けてます)

これには2つの要因がありました。
1つは徐々に弱っていく祖父の介護です。在宅介護ではなかったものの、施設を複数移動したり定期的に通院したり、誤嚥性肺炎で入院を繰り返すようにもなっていたため様々な対応が必要で、それに日々追われました。そしてなにより、祖父の介護をしていると父の不在を思い出すことが僕にとっては辛いことでした。もう1つはここまでの疲労の蓄積です。いずれも強いショックではないものの、じわじわと毒の沼地でダメージを喰らっているような感覚です。

このnoteを書いている日から約2週間前、2024年8月6日に祖父は安らかに眠りました。98歳と11ヶ月の老衰という大往生でした。
じいちゃんは7月からは終末期施設に入っていたのですが、食べる量が減り、点滴のみになり、点滴もできなくなり・・・と徐々に老いていく姿を見るのは辛かったです。でも、父や祖母と違ってじっくりと最後の時間を過ごすことができたのは本当によかったと思っています。


どこで、どんな風に生きていきたいか

祖父の葬儀が終わり、父から(勝手に)受け継いでいた責任(祖父と祖母の看取り)が終わりました。少し肩の荷が下りたのでこの文章をまとめています。

繰り返しになりますが、基本的には不幸に浸っている時間はもったいないと考えるタイプですが、どうにもこうにもメンタル・体調をコントロールできない日々が続いていて試行錯誤していたので、少しでも誰かのいつかの参考になればと幸いです。

メンタルがしなやかでタフな人でも、コントロールできない不調は起こり得ます。そのことを知っておくだけでも全然違いますし、ちょっとしたことでも遠慮せずに心療内科へ通っておくと、いざどうしようもなくなった未来の自分への助けになるかもしれません。落ちている中で、病院を探し、初診枠を掴み、合う先生と出会い、実際に足を運ぶ・・・のは時間も労力も非常に大きいので。また、(これは難しい部分でもありますが)不調のときに「不調です!」と素直に周囲に開示できていると、本当にまずい状況で「休め」と強く背中を押してもらえる可能性があるのでオススメです。

実は心療内科の先生からは、一連の対応が終わった今、改めてまとまった休みを取ることを勧められています。仕事も盛り上がってきているし生活もあるので非常に判断が難しいのですが、初めての経験ではないので、会社や先生と最適な選択肢はなにか慎重に相談させてもらっているところです。

今は自分と家族を大事にして、どこでどのように生きたいか、溢れる想いに対して素直に行動していきたいなと強く思っています。まだ何も決めてはいませんが、もしかしたら今後、今とは全然違った人生の選択をすることがあるかもしれません。でもそれは思いつきや逃げではなく、しっかり考えた選択であると理解してもらえたら嬉しいなと思っています。

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