自分よがりの思いやり。
"思いやり" というけれど
どういう気持ちのことを言うと思いますか?
自分以外の人のために気遣いをすること
相手の立場になって考え、思いを共有すること
同情する気持ち
等ネットで検索してくると出てきました
思いやりといっても一方的では
相手にはあまり伝わらず
少なくとも相手のニーズの大きな的の端にでも
それが刺さらないと意味が無い
と思っていました。
例として
誕生日プレゼントに物を貰って嬉しいけど
別に欲しいものでは無いし本音を言うと要らない
みたいな
私の姉がよく言っていました。
「彼氏からの誕生日プレゼントは要らないものを貰っても嬉しくないから欲しい物以外要らない。」
というか、姉の場合は欲しい物以外要らないから
欲しいものをねだるプレゼントで喜んでいました。
当時私はプレゼントって気持ちじゃないの?
って思っていましたが
その"気持ち"というのが
"私のために私の知らないところで私のことを思って
選んでくれたプレゼント"
のことで
私のことを思ってたら私の好みや
ぼそっと欲しいって言ったものぐらい覚えてるよね?
というなんとも厄介なやつでした。
自分がこうやって思っている分、
彼氏にも友達にも
相手のことを観察し生活している上で何が使えるか
その部屋に何があったら嬉しいか、ぼそっと欲しいものを言っていたのを聞き逃さないように記憶し、
いかに相手のニーズに応えられるか全力でした。
他の事もそうです。
身近にいる人が悲しんでいる時辛い思いをしてる時
同じような時私は1人でいるのがしんどかったから寄り添ってあげる。否定はしない。自分の意見は言わない。優しい言葉をかける。
私がひとり暮らしをして家事の面倒くささを知って
久々に実家に帰った時は手伝いするようにするとか。
自分がこうやって言われたら傷つくから人にも言わないようにするとか。
いつかに思ったことがあります。
"私はたぶん他の人よりも傷つきやすいから私が傷つかないようなことを最低限みんなにやってれば誰も傷つくことは無いだろう"
と。
色んな人から優しいねと言われてきました。
でもこんなの当たり前だと思っていました。
だって自分がやられて嫌なことだからしないのは
普通だと思っていました。
でも気づいたんです。
思いやりは、相手を思って相手の立場にたって思いを共有すること。
なのに
私は思いやりの基準が全て自分になっている、と。
全て自分の脳内データの元で動いてるのです。
相手がどうとかではなく自分なのです。
ロボット人間みたいで自分の事を怖く思いました。
もっと最悪なのが
これらが出来ない人は思いやりがない
と思っていたことです。
どおりで対人関係においてズレが大きいこと。
1番ぶつかったのは距離が近い彼氏でしたね。
だって私自身が思いやりがない彼氏認定していたわけですからね。
私が思う思いやり
と
相手が思う思いやり
難しいですが、
みんな何かしらの失敗挫折を経験し傷を負い
頑張って生きている中で
その人がそこから生み出した優しさが
きっと"思いやり"となってでてきてると思うので
全員にとは言いませんが
せめて
大切な人が思ってくれたことは
無条件に心から受け入れられるような
人間になりたいものです。
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