自動車学校での、"想定外" の学び
大学4年生後期にして、ようやく自動車学校に通い始めた。
「少し高いプランのやつでもいいから、さっさと免許取ってこい」というありがたい父の言葉に甘え、オーダーメイドプランで三週間卒業のスケジュールを組んだ結果、
毎日教習やら学科の勉強やらで慌ただしい日々を過ごすハメになっている。
この文章は、そんな自動車学校で得られた、思いがけない学びについての内容となる。
昔からとても不安症な私は、教習の時間が近づくと心臓のバクバクが止まらなくなってしまう。
運転ミスで事故を招いてしまったらどうしよう。
判断ミスで他の車に迷惑をかけたらどうしよう。
大して経験を積んでいないのに想起される失敗のビジョンはやけに鮮明で、100%それが現実に起こるのではないかとすら思えてくる。
…しかし実際の私は、事前に想像していた失敗を犯すことは一度もなかった。
失敗がゼロだった、という意味ではない。
失敗は、いずれも私の想像の外からやってきたのだ。
交差点での対向車や歩行者の確認が甘くてヒヤリとしたり、
初めての朝の教習で若干眠気が残っていたせいで判断力が鈍っていたり。
散々失敗したくないと思っていたくせに、私は思いがけない失敗のリスクを避けることができなかった。
(いずれも補助ブレーキ+落ち着いた口調で注意されただけで、ことなきを得たのだが)
けれど冷静になってみれば、それは当たり前のことだった。
予測できる失敗ならば、当然こちらも警戒している。
だからそのビジョンが現実になる確率は極めて低い。
その代わりに現れるのは、警戒しようのない予測不可能な失敗なのだ。
突然だが私は、「前後際断」という禅の言葉が好きだ。
現在を過去(前)からも未来(後)からも断ち切るという意味で、
まあ要するに
「今この瞬間を精一杯生きろ!」
ということである。
言葉自体は好きなのに実際は中々意識できていなかった「前後際断」だが、
今回の教習の経験を経て少しだけ、そのマインドへの理解が深まった気がした。
いくら不安で先のことを警戒していようがいまいが、常に失敗のリスクは想定外からやってくる。
それならば起こるかどうかも分からない未来の失敗に思考を巡らせるよりも、
現在に目を向け、次の瞬間起こりうる想定外に備える方が、失敗の回避に繋がる
ことに気づいたのだ。
(まぁ運転の場合は危険予測もめちゃ大事だけど)
自動車学校で禅の考えへの理解を深めることができたというこのエピソードも、想定外から生まれたものだ。
良いことも悪いことも、想定外だからこそ大きく感情を揺さぶるものなのかもしれない。
予期せぬ悪いことに備えられるように。
また、予期せぬ良いことを見逃さないように。
これからはより一層、今この瞬間を丁寧に生きることを大切にしていきたいと思った。