そろそろnote初めて1年経つし、これまでの事、これからの事を書いてみる
こんにちは。僕が練習日誌としてnoteを書き始めてからもうそろそろ1年経とうとしてます。そこで、今更感ありますが、簡単に自己紹介(これまでの経歴)とこれからの事を書こうとおもいます
小学校時代~陸上競技と出会う~
僕が本格的に陸上競技を始めたのは小学4年の時。母親がランナーだった影響もあり、幼少期から親子マラソンに連れ出されいた僕は、市内の親子マラソンに毎年出場していた。そこでは2位に入れていたものの、毎年、1位の選手に大差をつけられていたので、毎年、悔しい思いを味わっていた。だから、来年こそは勝つぞ、と意気込み、小学校4年時から本格的に練習を始めた。特にチームに所属する訳ではなく、一人で200のインターバルとか、家の周りを走ってた。記憶が正しければ、小学校6年の時には、3キロを10分40秒位では走ってたと思う。
中学時代~陸上人生の頂点~
そんなこんなで、小学校から陸上やってたし、それ以外のスポーツは全く出来ないので、当り前のように陸上部に入部した。
神奈川県には、夏の県大会に1年生1500mという種目があり、僕はそれに出場し、4分36秒で4位に入った。しかし、3位までに入れば関東大会に出れたのに、それをあと一歩の所で逃してしまった、その時、3年になったら全国に行くと心に決めた。その後、記録が伸び悩んだ時期もあったものの、2年の夏の終わりには3000mを9分21秒で走れた。この時点で全中標準記録まで24秒。3年になったら絶対に切れる、そう思ってた。だが、その思いは実現しなかった。全中標準記録突破指定大会である、県大会前の記録会で9分7秒のベストで走れていたこともあり、結構自信を持って臨んだが、ハイペースに対応できず、標準記録を突破できなかった。もう陸上を辞めたいと思ったが、中途半端な結果では終われないという気持ちがあり、気持ちを切り替え、駅伝に向けて練習を積んだ。県駅伝ではエース区間でなかったこともあり、区間賞を獲得することができたが、結局最後まで9分を切ることが出来ず、中学ベストは1500mが4分18秒、3000mが9分6秒といったところだった。
苦しんだ高校時代〜伸び悩む〜
自分で言うのも何だが、中学時代にある程度活躍できたので、有難いことに、数校から勧誘を受けた。その中で、僕は相洋高校に進学することにした。進学を決めた理由は幾つかあるが、まず、第一志望の高校に成績が届かなかった事、次に、スピード強化をしたかったから。が大きな志望理由であった。中学時代から県大会でラスト1周まで入賞圏内にいたのに、ごぼう抜きされ、入賞できなかった事があったりしたので、スピード不足は実感していた。なので、トラックでの活躍が印象的な相洋高校に進学を決めた。また、中3次、一緒に練習する相手がおらず、常にライバルと競い合える環境に身を置けば強くなれると考えていた。
入学当初、駅伝では1年次から出走し、2年、3年とエース区間を走り、活躍をしたいと考えていた。
入学式5日前に自転車で転倒し、1ヶ月半程度走れなかった時期もあったが、夏合宿でほぼパーフェクトな練習ができていた事もあり、自信を持って秋シーズンに臨んだ。9月には5000mを15分16秒のベストで走ることが出来き、確実に成長できた。しかし、10人の駅伝登録メンバーに入ることが出来なかった。その年は県大会で2位に入った年だったので、選手層がとても厚かったように思う。またしても、目標を達成できなかった僕は、こう考えた。もう、泥臭く、誰よりも距離を走ろう。そうすれば強くなるはずたと、また、体を絞るために、食事にも気をつけた。その結果、距離を走る→疲労が溜まる→記録が出ない→ストレスが溜まる→暴飲暴食する→消費しようと距離を稼ぐ→疲労が溜まるといった、悪循環に陥ってしまった。
結果、その悪循環から抜け出すことが出来ず、2年、3年と、駅伝メンバーに入ったものの、出走は出来なかった。個人でも、県新人、県総体に出させてもらったが、いい走りはできず、特に県総体では最下位になってしまい、悔しい、というか、相洋の名に泥を塗ってしまったような気持ちになった。タイムも、2年次SBが15分27秒、3年次SBが15分28秒と、14分台はおろか、PBを更新することも出来なかった。そんなこんなで、引退する訳だが、進路をどうするか、ここも非常にヤバイ状況に陥っていた。部活に打ち込んでいたこともあり、成績は最下位に近かった。指定校など取れる訳もなく、当初はAO入試での進学を考えていた。(幸い、英語は割と得意だったので、英検2級を取得できていた。)しかし、AOで受けた3校全て不合格。どうすることも出来なかったので、一般入試に挑んだが、成績最下位の男(ちなみに、古文は文系にも関わらず、成績1だった。笑)が受かるはずもなく、全落ちしてしまった。
ここだけの話、実はある大学から陸上でのお話も頂いていたり、陸上である程度名が知れている大学に入れてもらう選択肢もあったが、県大会3位の高校で駅伝に出れないような人間が箱根駅伝に出れる可能性は限りなく0に近いと考えていたので、お断りさせて頂いた。(大学で競技をやるんだったら、箱根駅伝出走が最低目標だと考えていた。)
この時がマジで人生の底。
浪人時代〜陸上から離れる〜
大学全落ちしたので、当然のように浪人した。もう後がないと分かっていたので、割と真面目に勉強した。この時点で大学では陸上は遊び程度でいいや。と考えていた。唯一、第一志望だった上智大に進学できたら、真面目にやろうと考えていた。なぜなら、箱根駅伝に上智大から走った人は1人もいなかったから。大学初の箱根駅伝ランナーって、なんかカッコいいなーって思ってた。まあ、追い込まれたら割と頑張るタイプ(←自分で言うか?笑)なんで、現役時から偏差値を爆上げすることに成功し、上智には届かなかったものの、明治大に合格することができた。
そして今思うこと
こんな感じで紆余曲折の人生を送ってきた訳だが、大学に入ってからやっぱり陸上の世界に戻ってきてしまった。理由は幾つかあるが、1番大きな理由は現在、所属させてもらってる同好会で、意識の高いメンバーが多く、刺激される形で、今は割と真面目に陸上をやってる。明大同のいところは真面目だけど、全然ピリピリした感じがなく、過ごしやすいし、いい人しか居ないところ。昔は練習に行くのが苦でしかなかったが、今はとてもポジティブな気持ちで行けている。
昨シーズンは、5000m 15分20秒、ハーフ71分28秒と、ベストに後一歩のところまで迫れた。今シーズンの目標は5000m14分40秒台、10000m30分台、ハーフ68分30秒、フル2.27’30
自分の弱点はスピードなので、(これ、何年も言ってる気がする笑)1500や3000にも取り組んでいきたい。
そんな感じで、今日も、のほほーんと頑張りたいと思います
最後まで読んでいただきありがとうございました🙇🙇