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人は歳をとると弱くなる。

最近、つくづく弱くなったと思う。
胃腸が弱くなって下しやすくなった。
疲れやすくなって翌日まで疲れが取れない。
新しいことにチャレンジすることを避けるようになった。
他人を信じることをやめるようになった。
期待するから裏切られると諦めるようになった。
他人は所詮他人だからこんなもの。と達観した。わたしは弱くなったらしい。

こう書くと、若いうちはさぞ強かったんでしょうね。と嫌味を言われるかもしれない。そんなことはまるで無い。今でこそどっしりと構えているように見られる私だ。若い頃はそれはもう不安でいっぱいの毎日だった。毎日夜になるとその日無事に済んで良かったと胸を撫で下ろす日々。安室奈美恵さんの「Don't wanna Cry」という曲の中の歌詞で、似たようなフレーズがあった気がする。胸を撫で下ろすなんでやめようっていうの。諦めること許したらHELLOなんて言えなくなるから、とかなんとか。私の日々はまさにそれだ。
毎日無事に過ごせたことに感謝して、ふぅと胸を撫で下ろす日々。明日も無事に、何事もなく過ぎればいい。そう願いながら眠るのだ。

いまはどうか?変わらない。あれだけ色んな経験をしたいとか、自分にしか選べない人生だとか、言葉で取り繕ってはいたけれど、実際にはどうだったのだろう。わけも分からず、ただ自己判断で、分かりやすく辛い道のりをあえて選んできたという、ある意味で歪曲した人生の選択だったと思う。それをポリシーとか、アイデンティティだと断じることで、私は人と違うと思いたかった。その結果がいまの、弱くなったわたしである。

肩肘張って生きてくのに疲れた。
誰かを恨み続けるパワーなんてもうない。
確かに自分は褒められた人生ではなかったかもしれない。
若い人から見ればあんな大人になりたくないと後ろ指さされているかもしれない人生だ。
それでもわたしはわたしの責任において
選択をしてきたと思っている。まあ、
それが時に逃げとか、怠けとか、そういう
マイナスな考え方からした行動もあったわけで。
それを経てわたしなりに完成したつもりだったけれど、
2020年の今になってわたしはその場その場で切り抜けてきたわけだけれど、本当の意味での努力とか、研鑽とかをしてこなかったのかもしれないと、そう告げられた気がした。
前からいずれ世の中は努力を正当に評価される時代がくる、と言われていたことを妙に覚えている。それは誰かの占いだったか、未来予想の番組だったかは忘れてしまったが。
いま、まさにその時代になった。
努力は可視化され、
努力したものだけが、世の中を渡っていく。
努力すれば誰もが認められる。
そう入っても昔はもう少し運の要素が強かった。
今は運だけでは生き残れない。
努力を続けた人が認められる。そんな時代。
努力さえすればいいか?と言われればそうでもない。
努力して、結果を残せば認められる。
努力すればいいのではなく、結果を残せばいい。
大丈夫。結果を残すには努力するしかないから。

結果だけが私の居る理由。数字だけじゃないとあれだけ散々言われてきた理想論はもろくも崩れ去り、いまは結果、数字だけで測られる時代となったのである。

とまあここまで割と好きに書いてきたわけだけど、
結局のところ、歳をとると弱くなり
若い人からは蔑みの視線を向けられたりする。
それは若い人からすれば何やってんだと思われるような風貌であり、存在感である。
その事を責められようか。ついこないだまでわたしもその蔑みの目を向けていた1人だったのだから。

わたしはもう若くはないということを自覚はしている。気力も。体力も。まあまあ減退気味だ。
加えてこの年代は心も弱ってくる。鬱を発症しやすい時期でもあるのだろう。何度か転げ落ちそうになったりもした。(もちろん。寸でのところで回避はしたものの、後遺症みたいなものを感じたりもする)

結局のところ、疲れているらしい。

今日はこの辺で。

MUSICAでした...♪*゚
寝よう。疲れた。

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