小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第4回【斎藤道三と光秀の関係とは】
小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第4回【斎藤道三と光秀の関係とは】
京都の修行僧から油売りを経て、美濃の戦国大名になったといわれる斎藤道三。娘・帰蝶と光秀がいとこ関係にあったことから考え、光秀は戦の仕方や人の上に立つ者のつとめを道三から習った可能性があるといいます。しかし2人の関係は早くに断たれてしまいました。今回は、斎藤家の思わぬ歴史が浮き彫りとなった新資料の発見をはじめ、道三と光秀の関係が終わった理由についてお話し頂きます。
要旨
★斉藤道三の三変化
斎藤道三(どうさん)は、京都・妙覚寺(日蓮宗)の修行僧であったが、修行が嫌で寺を飛び出して、大山崎の油座の油売りの婿養子になり、行商で諸国を巡り、美濃国へ来ると常在寺の住職(修行僧時代の弟弟子)に会い、彼のコネで土岐頼芸の家臣となるも、土岐頼芸を追い出して戦国大名になった。これ(修行僧→油売り→戦国大名)を「道三の三変化(さんへんげ)」という。
★戦国三梟雄=斎藤道三、北条早雲(伊勢宗瑞)、松永久秀
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