剣豪将軍・足利義輝の最期「永禄の変」
永禄8年(1565年)5月19日、塚原卜伝から奥義「一之太刀」を授かった「剣豪将軍」足利義輝の最期は、数珠丸恒次以外の「天下五剣」など、多くの名刀を抜いて畳に刺しておき、刃こぼれすると他の名刀に持ち替えて戦ったイメージが強いです。
『足利季世記』によれば、「若江三人衆」(三好義継が若江城主であった時の3家老。池田丹後守教正、多羅尾右近(多羅尾綱知)、野間左橘兵衛(左吉)長前)の筆頭・池田丹後守教正(通称「池田シメアン丹後」)の子が、戸の陰に隠れていて、足利義輝の足を槍で薙