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明智光秀の実像に迫る(全14回)

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NHKカルチャーラジオ2020 https://www.youtube.com/watch?v=Js55pdxq36w
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目次

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1.原文&現代語訳『伊束法師物語』(全20節) 一  岡崎与駿府一味之事
 二  廣忠公御死去之事
 三  安祥之城駿州ヨリ攻討并竹千世殿御帰国事
 四  竹千世殿駿州在府并御供衆之事
 五  御軍初之事
 六  岡崎一門中并家老之者義元卿江訴之事
 七  大高兵粮入之事
 八  義元尾州江発向之事并義元於桶狭間討死之事
 九  岡崎江御帰城之事并同氏真与手切之事
 十  織田信長領分城々之事

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小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第7回【織田信長の上洛と光秀】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第7回【織田信長の上洛と光秀】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第7回【織田信長の上洛と光秀】

天下布武を掲げ全国統一をめざす信長は、室町幕府再興をはかる足利義昭を擁立して上洛します。この二人の橋渡し役をつとめたのが光秀でした。義昭の家臣だった光秀は、信長の妻・帰蝶といとこの間柄でした。15代将軍の座についた義昭は、堺・草津・大津を信長に与えます。これが信長飛躍のきっかけになります。今回は、信長の上洛の前後で、光秀との関係が

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小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第10回【光秀が義昭を見限ったのはいつか】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第10回【光秀が義昭を見限ったのはいつか】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第10回【光秀が義昭を見限ったのはいつか】

将軍義昭の家臣であり、信長の家臣でもあった光秀。信長の排除に動く義昭の前途に不安を抱くようになります。光秀が義昭の側近に宛てた手紙には「おいとまをいただきたい」と記されていましたが、年月日がなく、いつ書かれたものか定かではありません。今回は、義昭が信長を倒すために手を組んだ武田信玄の動きをひとつのヒントに、光秀がどの時

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小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第11回【光秀の丹波攻めと攻略後の民政】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第11回【光秀の丹波攻めと攻略後の民政】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第11回【光秀の丹波攻めと攻略後の民政】

信長が将軍義昭を追放したことで、幕府に従っていた丹波の大名たちが信長に対して反旗を翻す動きを見せます。そこで信長から丹波攻めの総大将を命ぜられたのが光秀でした。光秀は難攻不落の丹波を攻め落とし賞賛されます。今回、光秀がどのようにして丹波を攻略したのか探るとともに、のちに丹波一国を与えられた光秀が行った“領民に優しい国づく

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小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第6回【光秀と足利義昭・細川藤孝との接点】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第6回【光秀と足利義昭・細川藤孝との接点】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第6回【光秀と足利義昭・細川藤孝との接点】

室町幕府13代将軍・足利義輝は三好三人衆によって殺害。義輝の家臣・細川藤孝は次期将軍候補の覚慶(のちの足利義昭)を幽閉されていた寺から救い、2人は各地を転々として越前・朝倉氏のもとへ逃げ込みます。そこで出会ったのが光秀でした。今回は、当時の資料をもとに細川藤孝と光秀がどのような関係にあったのか、また、その関係がどう変化

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小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第9回【信長が光秀を抜擢したのはなぜか】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第9回【信長が光秀を抜擢したのはなぜか】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第9回【信長が光秀を抜擢したのはなぜか】

武士の身分としては上級でなかった光秀ですが、実力本位・能力主義を貫く「信長流人事」のもと、坂本城を与えられ「一国一城の主」となります。信長が光秀を第一の功労者と認めたのがあの比叡山延暦寺の焼き討ちだったといいます。今回は、近年発見された延暦寺攻めに関する新資料などをもとに、信長が光秀のどのような能力を評価していたのか、い

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小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第1回【明智光秀とは何者か】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第1回【明智光秀とは何者か】

3月31日からNHKカルチャーラジオ 歴史再発見 小和田哲男「明智光秀の実像に迫る」が始まりました。30分X14回=7時間の講義が無料で聞ける(NHKはTVは有料だけど、ラジオは無料)という素晴らしい企画です。

★カルチャーラジオ 歴史再発見 小和田哲男「明智光秀の実像に迫る」
https://www4.nhk.or.jp/P1927/

長所は、聞き逃しても、(第1回【明智光秀とは何者か】の場

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小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第2回【光秀の生年・出生地に諸説】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第2回【光秀の生年・出生地に諸説】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第2回【光秀の生年・出生地に諸説】

明智光秀に関しての生年と出生地については、現在、いくつかの説が存在しています。生年に関しては1516年、1528年、1540年とする3説です。出生地については、現在の地名で岐阜県の可児市、恵那市、山県市、大垣市、そして滋賀県の多賀町とする5説があります。今回は、明智光秀の生年・出生地に関する諸説を解説すると共に最も有力な説とす

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小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第3回【各種「明智系図」と光秀】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第3回【各種「明智系図」と光秀】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第3回【各種「明智系図」と光秀】

明智光秀の家系とはどのようなものだったのでしょうか。明智氏は、清和天皇から続く清和源氏系統の一つで、美濃を支配していた有力な守護、土岐氏から途中で分かれたと言われています。今回は、現存するいくつかの明智系図から、光秀に至るまでの家系をたどることにより光秀の父は一体誰なのか、おじの光安との関係についてなど系図を通してその生い立ちと

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小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第4回【斎藤道三と光秀の関係とは】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第4回【斎藤道三と光秀の関係とは】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第4回【斎藤道三と光秀の関係とは】

京都の修行僧から油売りを経て、美濃の戦国大名になったといわれる斎藤道三。娘・帰蝶と光秀がいとこ関係にあったことから考え、光秀は戦の仕方や人の上に立つ者のつとめを道三から習った可能性があるといいます。しかし2人の関係は早くに断たれてしまいました。今回は、斎藤家の思わぬ歴史が浮き彫りとなった新資料の発見をはじめ、道三と光秀の関係が

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小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第5回【越前時代の光秀を探る】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第5回【越前時代の光秀を探る】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第5回【越前時代の光秀を探る】

斎藤道三と息子義龍が戦った「長良川の戦い」(1556年)で道三が討ち死に。道三側についていた光秀は、土岐氏・斎藤氏と姻戚関係にあった朝倉氏を頼って越前へ逃れました。光秀はすぐに朝倉氏に仕えたと伝えられてきましたが、新たな資料が出てきたことにより、その前に「空白の10年間」があることがわかりました。光秀はその間何をしていたのか?今回

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