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習い事だって真剣に決めましょう DONYORI CAFE通信〔#009〕

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本日のご相談です

習い事沢山やらせておかないと……

沢山習い事、塾に行かせないとうちの子だけ遅れを取っちゃうんじゃ……

そう考えると親は焦る、焦る!焦る!!


なるほど……

キッズたちに大切なこと

しかし私は遅れを取るのが悪いとは思わない。そこからゆっくり上り詰めていく方が全ての立ち位置を経験出来ると考えるからだ。
幼少期は子供だけで遊び自分たちでルールを作り1から何かをやり遂げたりする事が必要だと思う。塾や習い事は大人が絡んでくる。大人に包まれた所であり受け身になることがほとんどだ。多少は同年代と仲良くなったりはするだろうがその場をまとめているのは大人である。そうではなく、公園で子供たちだけで遊ぶ時間などを設ける事が大切であると思う。子供だけの空間はある一種の社会と化すからである。そこで学ぶ事は多々ある。ブランコの順番待ち、「それを貸して。」と言う自己主張、家族ごっこの役の譲り合いはどれも将来必要になる力の軸になる。これらをやってこなかったら成長しても出来るようにはならないと思う。

習い事、塾の目的≠学校の目的

塾や習い事は大人が自分を見てくれている環境である。向き合ってくれ自分中心に回る。「出来るようにならない」と前述したのは大学受験を通して感じたからである。推薦受験をする人が7人いた中で、自分が先という態度で他の人を押しのけ担任に書類を見てもらおうとしていつまでにこれをやってくれということをズバズバと担任に指示している人がいた。度が過ぎていたので担任も怒鳴っていた。しかし本人はなぜ怒鳴っているのかを理解しておらず周りに疑問をぶちまけていた。これが理由だと断言できるわけではないがその子は幼少期からいくつも習い事に通っていて塾にも行っていた。塾や習い事では、集団生活・集団行動を重視したりするわけではなく、とにかく勉強や習い事の内容のスキルアップを目指すところである。だから自分を一番に考えてくれて、自分中心に動いていくのは当たり前である。あくまでも「商売」だから。塾や習い事は「スキルアップしてもらわないといけない。」というものが軸であるが、学校の軸はそうではない。実績を上げたい思いや、個性を一人一人伸ばそうとして担任や教師が動くこともあるが、学校の中心軸となるものは、「社会に出て通用する人材育成」であると思う。だから塾や習い事は使い方次第で良い方にも悪い方にもいってしまうと思う。

同年代とも沢山関わろう!!

また、子供同士の関りが必要な理由は心と頭のバランスを保つ為である。大人に囲まれながら育てば思考回路が他の子に比べ大人びるだろうが心は周りと同じ年齢である。皆と遊ぶ中で成長していくものだがそれが少ないと心だけ成長がストップする。心にゆとりがなくなり人として必要な感情、気持ちが欠けるだろう。だからこそ将来の夢がなかったりする。最近「将来の夢は?」と聞かれ「大きな家を建ててママを楽にさせてあげる事。」と答え、周りが「いい子ね。」と言っている場面を見る。だがこれは親が「沢山勉強、習い事をして将来楽させてね。」と言って聞かせているとしか思えない。親の願望の単なる押し付けに過ぎない。そうではなく自己形成をしていく為に、気を張る生活だけでなく自由にのびのびとした生活をする事が幼児、児童にとって一番重要になってくるのではないか。

習い事の大切さ

とは言え、習い事が悪いことであるとも思わない。適度に生活と相談しながら、本当に習わせたいもの、または本人が希望するものに絞り、「習い事や塾の量」よりも、「継続」面に焦点を当て、子供と一緒にい丁寧に決めていけたら、とても良い習い事と化すだろう。長年同じ習い事を1つ継続することで、自信にもつながるし、その内容を人一倍極めることもできるし、1つのことに長期にわたり取り組むということが出来るようになる。「何個も何個も」精神や、「習ってやめて習ってやめて」精神より、「1つを継続」精神は、本当に素敵なことであり、とても大切なことであると思う。逆に、こういうことを実践的に幼少期から経験できるのは、習い事くらいではないだろうか。だから、とにかくいくつも習わせることよりも、体験、親子間での相談、情報収集などを重ねたうえで、その子に合った継続できると感じることの出来る習い事を見つけることこそが、親(保護者)にとって大切なことなのではないだろうか。

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