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りょうけん的 読書感想文の様なモノ 『ヨルノヒカリ』畑野 智美 著 240907
<優>
夜ベッドに入ってから読み始めた。たぶんすぐに眠くなるだろうと思っての事だった。それが午後10時を少し回った時間のこと。で気が付くと100ページを超えて読み進んでいて時刻は深夜零時を過ぎていた。途中でトイレに行ったり水分補給したり色々やったからまあ延べ2時間弱で100ページならば ほぼ集中的に読んだペースだ。なかなか僕の深夜読書ではめずらしい事だ。いやはやそのくらい面白くて先が気になりもう少しもう少しと読み進んでしまったのだ。
本書は賞を獲ったり文芸読書界?で特に話題に成ったわけでもないので,読み始めるときの最初の想い:すぐ眠くなるだろう,くらいの気構えだったのだがなぁ。まあ嬉しい誤算なのだ。多分僕はこの畑野智美の文体や思い描く世界が好きなのだろうと思う。前に似たような経験をしたのは『ふがいない僕は空を見た』の窪美澄だった。畑野も直木賞獲るのだろうか。まあどっちかというと本屋大賞の方をとって欲しいよな。
畑野のデビュー作『国道沿いのファミレス』は先だって読んだ。面白かった。本作もそのデビュー作とあまり筆調は変わっていなくて僕は好感が持てた。なんというかけだるくてどこかもうどうでもいいやっぽい感じがある感じ。そしてめちゃくちゃ美人でだけど色々とめちゃくちゃだらしないオンナの人が登場する事。
本の値段定価は1800円。この本の厚みからするとちょっと高めの値段設定である。値段設定は出版社のこの本に対する ヤル気,とイコールである。売りたきゃもしくは出版社が売れると思ったら出来るだけ安く設定する。(本の値段って出版社が付けてるのですよね。まさか作者が付けた!?という例もどこかにあるのでしょうか…)
ところで話は変わるが,<戻れないスマホの画面>について少し書く。
ちょっと前まではPC一辺倒でネット内をあちこち飛び回っていたが最近はスマホを使う事の方が多くなった。何と言ってもお手軽で便利だから。なのでラップトップPCなどはもうその役目を終えて僕などもデスクトップPCしか持たなくなった。
おっと話はそこではなくて,最近のスマホの画面についての苦情というか僕の絶望感を愚痴る。僕は旧アイフォンSEを使っている。iFone5Sである。なので画面はむちゃ小さい。僕の年齢はとっくに還暦は超えているので,まあよくこの小さな画面のスマホを使えているものだと自負している。おっとまた話がそれた。
ちいさな画面をクリックして進む。見たいニュース画面などの真ん中にデン!とコマーシャル。以前はこれを回避する「×」アイコンは分かり易くそのそばにすぐあった。×をクリックしてニュースを見る。次は違うニュースを観に行く。また出るコマーショル。でも「×」で抜ける…。以下繰り返し。
以前はまだるっこしいながらこの行為の繰り返しでスマホでやりたいことがまあなんとか出来た。ところがトコロガである。最近一度間違えてそのコマーシャルへ行っちまうアイコンをクリックしたところ。なにやらアプリをインストースする画面に移ってしまった(最近はTEMUとかいう中華国版の物販サイトが一番多いな)
ここで以前は元に戻る「×」があった。ところが最近はこれが無い。小さな画面のどこを探しても そのまま進むしかできなくなっている。どうしても戻るならメインボタン押してホントののっけの最初に戻るしかなくなる。すると最初に興味あって見ようとしたサイトも消えてしまってもう見られない。キミ ええかげんにしなさい!
コマーシャルだけ流しても誰も見ないので人気のあるコンテンツのスポンサードをして「時々」コマーシャルを表示しているのでしょ。あんたら(顕著なやつはTEMU(笑))のやり方はその絶対のルールを無視してる。破ってる。人気コンテンツの邪魔を思い切りしてるんだよ。なに,中華国ではそれが普通,バカっ ここは日本だ!
これって例えると、人気テレビアニメ番組『鉄腕アトム』で,スポンサーの明治製菓のマーブルチョコレートさえ買ってくれたら 『鉄腕アトム』なんて見てくれなくてもいい,というエゴでしょう。本末転倒も甚(はなは)だしい。もちろん歴史ある日本の明治製菓はそんな馬鹿な事はしなかったけどTEMUは臆面もなく厚顔無恥のお手本の如くやっている。
正直本音でこの例の様なやり方をされると僕はマーブルチョコレートは絶対買わなくなるし 明治製菓にも見切りをつける。あ,中華国にはとっくに見切りつけてるしTEMUもだけどね(お笑い) コンテンツの主はこのような理不尽なコマーシャルをやる業者に大事なコンテンツのスポンサードをやらせない様に。そしてGoogleやFacebookやXもそういう画面表示の仕方は いくら金を出すコマーシャル主が望んでかつ喜んでもやらせないように。結局は自分の首を絞める事になるよ。よぉーく考えてスポンサーを選びなさいね。
さて,閑話休題。異性にも同棲にも「恋愛感情」を持てない人の話。多様性とか言って色んな人が居てその人達を差別したり さげすんだり しないような社会に段々なってきた。でも 恋愛感情が分からない というのは果たしてパターンとして認知されていて学問的に体系化とかされているのだろうか。まさか作者本人がそういう人なのではないだろうし。となるとあまり事例や参考になる文献などもないのだろうし作者の想像だけで書いているのだろうか。まあそれはそれで簡単な事ではないのだろうけど。なにか怪しいモノをずっと感じながら読んだのであった。
比較的感想。 ここで この畑野智美『ヨルノヒカリ』とその前後で偶々読んでいた山崎豊子の『二つの祖国』を少し比べた感想文を書いてみます。多分色々書きますがどちらかが良いとか悪いとか言う話ではありません。『二つの祖国』は作者 山崎豊子が実際に足を運んだインタビュー取材や合衆国の公共施設での膨大な資料を調べ上げるたりしている。読めば物凄く為になって知識/蘊蓄もたっぷりと身に付く。なんなら他人に自慢したくなる程嬉しくなったりもする。読み応え/読む価値全て揃った良書なのである。
対して『ヨルノヒカリ』は おそらくそういう取材的行為や沢山の本を読んで調べるというふうな努力は一切行っていないだろう。想像力だけの勝負なのだ。トータルでいうと『二つの祖国』よりもはるかに楽な仕事だと思しい。いいんだ 楽をしてお金稼いで面白可笑しく生きる事こそ人類永遠の目標なのだから。あそれと 僕が感じる限り出てくる女の人はみんな飛び切りの美人なんだな。男としてはワクワクするけど現実にそんなのってあるかい?現実をほとんど感じないお話でもあるのだ。
少し予想はしていたけどラストは思った通り意味不明と云うか結論無しと云うか 投げやりと云うか限りなくそういう終わり方だった。まあそうしかならないのだろうなぁ,とは思ったけどなぁ。さて次の畑野智美はどの作品を読もうかしら。