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政倫審開催と小野寺委員長解任決議案という茶番

野党国対のつまらなさの表象

実につまらないと言うのが、率直な感想だ。

政治倫理審査会を開催したとて、それ自体に何の意味も無いことは国会議員なら知っている筈なのだが、どうも野党議員は鬼の首を獲るかのように政倫審の開催を迫っていた。

ところが、2月29日の政倫審が行われても、野党の議員の中で決定的に自民党議員を追い込むような離れ業をやってのける議員は出なかった。

野田元総理の舌鋒が鋭かったと、一部の野党支持者が言ってたが、国会の委員会と政倫審では意味合いが異なるし、言ってることは委員会質疑と大差はなかった。

国会の主たる目的は立法府であることだ。日本は法治国家なので、国家の統治機構と行政は全て法執行機関としての役割を持っている。立法府である国会は、国民の民意の具現である選挙を経て選ばれた国会議員によって、主権者である国民の代わりに立法を行う。

その中でも最重要な立法が予算を通すということだ。その意味で、通常国会の予算委員会は数ある国会の委員会の中でも最重要に位置付けられている。

ここ数年の国会においては憲法審査会も最高法規である日本国憲法の改正に関する議論の場であるとして、重要視されているが、やはり最重要なのは本予算委員会だ。

今回、予算を通したくない、あるいは与党に譲歩を迫りたい野党は、小野寺委員長の解任決議案を提出した。言い換えれば、最後の手段に打って出たことになる。

今国会においては、自民党の派閥による政治資金不記載問題に焦点が当てられ、いかにも野党が自民党の各派閥議員を追い詰めたかのような印象報道が目立つが、その中身を見ればやはり決定打に欠ける。

野党の茶番

野党支持者の多くは、政治資金規正法の抜け穴を利用して、あたかも自民党議員が私的に政治資金を流用したかのように思いたいだけで、野党議員もマスコミも、その自分たちが描いたストーリーに従った物語を作り出したいのだ。

今回、立憲民主党の山井議員が3時間にわたって行った弁明も、ただ長時間の無駄話を聞かされただけのことで、いかにも目立ちたがりの山井議員らしいやり方だ。

その意味で、山井議員の手法は前時代的手法と言わざるを得ない。

山井議員の長々とした弁明演説に対し、もっとも辟易とした気持ちになっているのは、むしろ野党支持者ではないだろうか?

国民民主党の榛葉幹事長は今日(3月1日)の定例会見で、

「今朝、野党第一党が小野寺予算委員長の解任決議を出したそうですが、出したい気持ちはよく分かります。ただこの会場に来る前にびっくりしたのが、延々と野党第一党がフィリバスターをやっている。3、4時間演説するといっています。与党も与党ですが、こんな昭和の政治をまだやっていたら、予算だから全ての役所のみなさんは夜なべです。休日に国会を1日やったら、1億円の税金が吹っ飛びます。残業代もかかる。予算だから全省庁です。こんな税金の無駄遣いをやって、被災地はどう思いますか。与党にも野党にも。「自民党とんでもない」と思っていた有権者や納税者が、こういう昭和の政治を延々とやっていると潮目が変わってしまいます。」

と語り、立憲民主党の手法について野党としてのあり方に警鐘を鳴らしている。

何より、山井議員のようなやり方を見せられる有権者こそ、一体何を見せられているんだ?という暗澹たる気持ちになるだろう。

野党支持者は舌鋒鋭く切り込み、与党がアワアワする様を見たいと考えているし、それで自分の溜飲が下がると考えている。その考え方そのものも如何なものかと思うが、そう思わせているのは立憲民主党自身だ。

そして、既に次の手段として、鈴木財務大臣の不信任決議案を出す構えのようだ。

確かに野党としては他に打つ手は無いことが明白なので、仕方なく旧来の手法に出たのだが、ここにも、国会論戦とはそもそも何か?を問い直す意味も含まれるだろう。

有権者の率直な声である、「いつまでこんなことをやるのか?」という疑問に応えるのも国会の使命だと思えてならない。

野党が行ったのはフィリバスターで、民主主義のルールの中で唯一許された手法として、決議に向けての遅延行為を行うしかないとの見方もあるだろうが、繰り返すがその浅ましき行為を見せられる側に立って、物事を進めた方が良いと思うのだ。

誰の目にも、国会審議の遅延行為はそれだけ無駄を要すると分かる。いかに民主主義の公正なルールによって選出された国会議員であるとは言え、何をやってもいいというものでも無いだろう。例えば、れいわ新選組の大石あきこ議員のように、小野寺委員長と鈴木財務大臣の不信任決議案投票の両方で牛歩戦術を行ったが、結局、両方とも遅延行為の時間切れで投票できないままだった。果たしてそれが民主主義によって選ばれた議員の執るべき態度と言えるだろうか?

青票と白票のどちらかを選択せよ、という民意を具現化しなければいけない立場の国会議員が、投票行動自体が出来なかった。これは恥ずべき行動だ。そこに民主主義は存在していない。

フィリバスターにしても、なんだかかっこいいカタカナ語だから野党支持者が嬉しそうに使ってるだけの話で、そもそも、今回の不信任決議案提出の弁明などフィリバスターでもなんでもない。何故なら、否決が見えている、結論が見えていることにフィリバスターなど必要ないからだ。

またフィリバスターは権力者が民意を無視した政治を行っている時ほど有効だが、現在の日本において、政権運営より民意が優っているとは言えないだろう。そして、フィリバスターを行うタイミングは、ただ予算案の決議における日程闘争を行なっているに過ぎない。フィリバスターは世論が大きく動くタイミングでこそ、効果がある。今回の山井議員の行動や大石議員の行動は、ただパフォーマンスをやっているに過ぎない。フィリバスターの本来の意味を履き違えている。

表題に「茶番」という言葉を使ったのは、単純に、野党のパフォーマンスという意味での茶番だ。自民党の国対にいいように料理されただけの話である。

今国会ほど、野党の弱体化を感じた国会はない。

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