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現実のジョージ・オーウェル『1984』
「肉まん食べよう」
中国では、「肉まん食べよう」という名称の集団サイクリングが話題で、既に当局が取り締まり、今は沈静化されたようだ。ことの発端は、美味しい肉まんを食べたくて数名が自転車で肉まん屋に向かったことをSNSに投稿したことがきっかけ。それに同調した大学生を中心にした若い世代が、「肉まん食べよう」のテーマでサイクリングを始め、一種のムーブメントになり万単位の人々が行動した。
『報道1930』で、その中身について詳細が触れられている。
その原因となるところは、結論は国内経済の落ち込みであることは間違いない。専制主義国家である中国は、習近平の絶対王政の下、共産党という組織的な全体主義に近い政策推進によって、習近平が間違えると共産党が間違い、国民は粛清を恐れ間違っていると分かっていても全員がそちらに向かう。これに反発する国内の動きはあるのだが、依然として中国国内で政変に繋がる動きは出てきそうにない。
その原因は一体、どこにあるのだろう。
中国国内における政変の最初は、1989年の天安門事件だ。中国共産党が恐れるのは、天安門事件の再来であり、民主化に向かう機運が国内全土に広がることだ。
天安門事件の直前、当時の中国の若者も、自転車で天安門広場に向かっていた。その時の若者は、中国を民主化させる為、自分たちが立ち上がるしかないと感じていた。そして、その集まりは中国共産党が恐れるようなクーデターとか政変などではなく、実は希望に満ちた団結だった。当時の記録映像には、笑顔に溢れた若者の姿が幾つも残っている。難しいことは分からないが、自分たちの未来は自分たちが決める権利があると、彼らは考えていた。
ところが、時の中国共産党は、戦車で若者を捻り潰すことを選んだ。これが、現代中国が犯した過ちの最たるものだ。そして、天安門事件の記録を徹底的に排斥し、歴史上から抹殺しようと試みた。
SNS上でもそうだが、消せば増えるのである。たった35年前の出来事だ。天安門事件のニュースは、当時、世界中を駆け巡った。今でも、6月4日が来れば、当時の映像がどこからともなく発掘され、歴史の事実として回顧される。
中国が内戦を経て文化大革命を行い、中国共産党支配の社会を作り上げた時、共産主義に基づく全体主義国家は夢のイデオロギーを掲げる国家としての理想形であり、全国民を幸福に導く政治体制であると、多くの人が信じる反面、それがいかに危険なことかは程なくして中国国民が骨身に染みて分かることになった。
それが文化大革命による信じられない人数の粛清であり、弾圧であり、思想統制だ。これが如何に恐ろしいことか、骨身に染みている世代が、かろうじて残っていた1989年、改革派胡耀邦の死に対する抗議行動をきっかけに、今をおいて民主化革命を行うことは出来ないと立ち上がった若者によって、デモに発展した。そして、血塗られた天安門事件が起きたのだ。
気力と体力を奪われた中国の若者
今の中国はSNS社会においてさえ、中国共産党の徹底的な情報統制下に国民は置かれている。自由がない。中国共産党は人々の内心の自由さえ許さない。中国共産党にとって、理想的な政治イデオロギーである社会主義体制の否定は出来ない。否定してしまったら、自分たちの存在理由が無くなる。信じられないが、彼らは本気でそれを信じているのだ。そして、どこまでもその幻想の中に生きている。
日本のリベラル思想に傾倒した人々は、総じて社会主義的な、平等社会を理想として掲げる。その結果、地球上に唯一と言っていい社会主義体制が国家として成立しているかのように幻惑された中国を理想的な国の形と見ている。そして、中国共産党が進める国家資本主義を理想としているように見える。習近平サマが指導してきた国家資本主義の末路が、現在の中国だ。
中国国内の地方政府と中央政府の負債は、分かっているだけで、日本円で2,000兆円規模に上る。それはあくまで中国政府が発表している数字に過ぎない。シャドーバンクを含めるとどこまで膨らむか、多分、中国政府自身も分かっていない。
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地方政府は給料も払えず、不動産市場は相変わらず低迷が続き、頼みの綱の輸出産業もアメリカ主導の関税政策が更に厳しくなれば、今後も落ち込みが続くだろう。
資本主義経済を共産主義がコントロール出来るはずなどない。ましてや、14億人の国民を抱える中国が、僅か数十名の共産党中央委員会でコントロールするなど、神様でもない限り不可能だ。そして決定的に不幸なのは、その中央委員会に誰一人、市場経済や資本主義経済の専門家がいないということだ。
権威主義に基づく全体主義国家において、資本主義経済を実現することが、何故、不可能かと言えば、自由が無いことだ。自由な経済活動を許さない限り、イノベーションも生まれず、競争原理が働かないので経済発展も無い。少し考えれば分かることだが、中国共産党は、一党支配を維持する為には共産党支配を脅かす「集団」や「団体」が出来上がることが何より怖い。そして、経済力で中国共産党に影響を与える人々が出てくることが怖いのだ。その根幹が自由を押さえ込むことだ。
この共産党の政策は、理想的な社会主義の機構を生むことなく、経済の歯車が狂い始めると全てが狂い始める。中国国民はそれが分かっているから、何かの形で抗議行動を起こしている。そこには暴力も政府批判も無いのに、共産党はそうやって人民が集まることを恐れる。自分たちに跳ね返ることを恐れているのだ。
日本人と中国に進出している日本企業は、イザとなれば、中国から撤退すればいいと考えている。しかし、未だ10万人以上の在中邦人が、中国共産党の人質状態にあるという危機感が無さすぎる。そして、在中邦人は、中国への投資も出来ず、中国から撤退しようとすると共産党に出国停止されるリスクを負っている。この現実に対しての認識があまりに欠けている。
習近平体制は、最悪の場合、反政府勢力のクーデターを引き起こしかねない。以前のクーデターはアメリカが主導し、裏で手引きしていたが、今のアメリカにその力は無いし、国際社会から猛烈な反発を呼び込んでしまう。国内第一主義を掲げるトランプは、絶対にそんな冒険はしない。となると、中国国内の暴発が起きるきっかけは中国国内から発生することになる。そして、その先にあるのは無政府状態だ。
中国は中国共産党以外、とって変わる政治体制が存在しない。だからこそ、国内の引き締めに躍起になっている。それはつまり、歴史を巻き戻す作業だ。毛沢東から鄧小平に至る時代への回帰だ。中国国民が好むと好まざるに関わらず、そうするしか、他に方法が無い。習近平体制が崩壊しても、次に新たな習近平が出てくるだけだろう。そうやって、中国は年々、後進国化が進む。究極は今の北朝鮮のような国になることだ。
ジョージ・オーウェル『1984』
中国国民が、それを嫌がったとしたら、政変を起こすしかないが、今の中国の若者にそんな体力も気力も残されていない。
中国共産党の狙いは、まさにそこにある。時代を変えるのは常に若者だ。その若者は気力も体力も失い、生きる屍のように唯々諾々と共産党の方針に従うことを求めている。今の中国は、ジョージ・オーウェルの『1984』が現実化した世界なのだ。
キリスト教的に言えば、「最後の審判」の無いゲヘナ(地獄)ということになる。日本人の地獄に対する理解とは、なんだか得体の知れない魑魅魍魎が跋扈する世界と想像しがちだが、そうではなかった。地獄とは、夢も希望も失ったゾンビのようにただ歩き続ける人が無数に存在する世界だ。
ヴィクトール・フランクル教授は、実存分析学の権威であり、アウシュヴィッツ収容所での経験を踏まえた『夜と霧』の中で、英文のタイトル『Man's Search For Meaning: An Introduction to Logotherapy』の通り、自己目的化、自己実現化の具体論としての精神分析の重要性を説いた。簡単に言えば、生きる意味を持つことの重要性を説いたのだ。
今の中国の若者に蔓延しているのは、自己目的化、自己実現化した自分の未来ですら中国共産党の手の中にあるという絶望だ。どうしていいか分からないのだ。
今の中国では幼少の頃から、習近平礼賛教育を詰め込まれ、共産主義思想を繰り返し洗脳されている。そして、年老いて身体の自由もままならなくなって初めて、『1984』に登場するウインストンのように、愛情省の101号室で党に忠誠を誓い、自分の存在理由を自ら否定するようになる。
中国共産党に、
「政治改革などと、余計なことを考えるな。党に逆らうな。自分の周囲数メートルの幸せだけ考えていろ」
と、叩き込まれる。
ところが、今の中国は、自分の周囲数メートルの幸福さえままならないから、「肉まん食べたい」のようなムーブメントが起きているのだ。この現実を見ようとしない中国共産党は、このまま、自らの未来ですら習近平に委ねるのだろうか?
それを日本語では「世も末」、あるいは「絶望」と言うのではないか?