意味のある“頑張る”とは何か
頑張ることに意味はあるのか。
僕の人生を通して、頑張りが実を結んだことはほとんどなかったです。
ここ数日、なぜ頑張るのか。疑問視するようになりました。
そもそも、『頑張る』とは何を指しているのでしょうか。
広辞苑によれば
『頑張る』は当て字 ([我に張る]の転)
①我意を通す
②どこまでも忍耐して努力する
③ある場所を占めて動かない
どうやら、『頑張る』とはつらく苦しいことが前提になっているようです。
では、なぜ苦しい思いをして頑張らなければいけないのでしょうか。
苦しい思いをして何が手に入るのか。
ここからは、個人的な経験と推測による安易な考えになりますが
『頑張る』ということはその先の目的や目標が明確になっていなければ意味をなさないと思います。
なぜなら、”なぜ頑張るのか”その理由を失うから。
(まるで今の僕のように…)
ただ苦しいだけ。そこに意味を感じるわけがないのです。
視点を変えた質問をすれば、楽しいことや好きなことは頑張れますか?
恐らくほとんどの人が”頑張れる”と答えるだろう。
しかし、実際のところ、その気持ちだけでは頑張れない。という答えがこの論理に基づいている答えなのです。
楽しいことや好きなことが頑張れるのは、自身が気付かないうちに自分の中で向上しようという明確な目標が確立されているからだと思います。
なので世の中のほとんどの人は好きなことは頑張れる思えるのです。
同様に、嫌いなことも、目標や頑張る理由を確立することができれば、意味のある努力が可能であるのかもしれません。
サッカーもバスケも、ゴールをとるために頑張る。勉強も、試験に合格するために頑張る。
まずはゴールから決めることを前提に、逆算して進めていくことが意味のある『頑張る』をもたらすと勝手に納得しました。